シューマンの情景
シューマン作曲「森の情景」とともに朗読する詩集

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 「この場所では花々はひときわ高く育ち、青白い、まるで死のように。真ん中の一つだけが暗い赤の中に立っている。それは太陽から受けたものではない:太陽の燃える赤がそこを照すことはなかった。それは大地から受けたものだ、大地は人間の血を吸ったのだ。」これは、この曲集の「評判の悪い場所」につけられたモットー(標語)です。
 シューマンは、はじめ他にもいくつかのモットーを用意しましたが、これ以外はすべて破棄します。破棄されたものは、曲名や音楽の印象から受ける詩的雰囲気を持つ傾向が強く、残されたひとつは、音楽の印象だけに留まらない何か象徴的な意味合いを感じさせます。おそらくシューマンは、音楽と言葉の関わりにおいて、標題音楽のように互いのイマジネーションが直接的に結びつくことよりも、もっと多様な心理的想像力を喚起させるような在り方を求めたのではないでしょうか。そしてそれは、彼の精神の深いところまで働き掛ける要素を持っていたと言えるでしょう。
 作詩にあたっては、残されたモットーを手がかりにし、シューマンの心象風景を表現するようなものにしたいと考えました。音楽はまさにシューマンの精神の発露なのですから、寄り添う言葉もそれと通じ合うものでありたと思ったのです。そのために、シューマンが愛するクラーラに宛てた手紙と彼が作曲した歌曲のテキストから、モチーフや言葉を取り出しました。そしてそこに、今の社会に対して感じている私なりのテーマを織り込みました。それは、「競争社会に蔓延する不信」と「愛」です。これはまた、伝えられるシューマンの人物像から私自身が抱く印象と深く関係している要素でもあります。人が人を信じられなくなれば、それだけ孤独になってゆきます。精神は疲れ果て、心はすさむばかり。その救いとなるのが「愛」なのです。
 それぞれの曲名を踏まえて作詩し、音楽に先行して朗読されます。音楽との結びつきを深めるために、音楽に重ね合わせて朗読するところもあります。そして最後に、シューマンがクラーラに宛てた手紙の一部をそのまま引用しました。これは、二人が長い苦難を乗り越えてようやく結婚した日(1840年9月12日)の7ヶ月前に書かれたものです。クラーラという名前は「光輝く」という意味を持っています。このことによって、「シューマンの情景」と「テーマ」は、「森の情景」のうちに、一元的ではない多様な結びつきを果たすこととなるのです。
初演
朗読:谷 篤/ピアノ:揚原 祥子
2009年3月8日 りとるぷれいミュージック・ハウスコンサートNo.101+14
詩集楽譜「シューマンの情景〜子供の情景とともに」
ピアノ用A4 版/朗読用A5版 各¥2,500円 / A4版+A5版セット¥4,000円
(+配送料1冊185円) お問合せお申し込みはメールにて。お名前、お送り先、お電話番号、楽譜名、申込数を明記してお申し込み下さい。こちらより振込先をお知らせいたします。ご入金確認後の発送となります。
 譜めくりが最小限で済むように、ページをレイアウトしました。A5版は朗読用の持ちやすい小さい版ですが、文字は読みやすいように大きくレイアウトし直してあります。楽譜に記載されているドイツ語による音楽用語の簡単な解説、また、シューマンの手紙などから引用したモチーフの出典などの説明があります。
作詩ノートから
・社会の競争から逃れ、救いを求め森へとやってくる。
・競争を避けるものを許さない社会は待ち伏せる。
・森の中にも孤独な存在が。
・人間の血から芽吹いた花。 (ヘッベル・詩)
・森は慰めに満ちている。美しい響き、木々、泉、鳥。
・希望の旋律、遙かな響き、心の旅籠屋。森の彼方にそびえる峰、天空への憧れ。
・指輪は愛の証。身投げの予感。思い出す愛の光。
・勝者の歌。負けるものがいる。狩るものと狩られるもの。
・森と一体になる。愛を失うこと。森と別れ、愛故に人であり続ける。
・光と闇、クラーラ、互いに補完しあうもの。愛が調和を保つ。
・「Clara」は「光輝く人」という意味。
 

エオリアンハープ
シューマン作曲「子供の情景」とともに朗読する詩集

   楽譜PDFファイル
 この詩集は、シューマン作曲「子供の情景」の演奏に合わせて朗読するために書きおろしました。
 作詩にあたっては、この作品のタイトル「子供の情景」を、「子供が思い描く情景」ということではなく、「大人が子供の頃を回想するときに立ち現れる情景」という意味合いでとらえました。その上で、シューマンが歌曲として作曲した詩(彼にインスピレーションを与えた詩)の世界からさまざまなモチーフを選び、随所にちりばめました。その際、シューマンがそれぞれの曲につけたタイトルにはとらわれることなく、あくまでも音楽から受けた印象をもとに自由に発想しました。そしてそこに私なりの想いを加味しました。それは、私が音楽に触れるときに大切にしていることだったり、私たちが生きているこの社会で失われつつあることだったり、自分が大人になって失ってしまったことだったり・・・。
 私の綴ったこの言葉たちがシューマンの音楽に別の角度から光りをあて、聴いて下さる人の心に新たな楽しみや慰めが生まれましたら、そんなに幸いなことはありません。
ピアニストの川染雅嗣さんの委嘱で作詩。(2006年7月29日)
初演:2006年8月25日/北海道美幌町 コムルケセラ/ピアノ:川染 雅嗣・朗読:谷 篤
詩集楽譜「エオリアンハープ〜子供の情景とともに」A4 ¥2,000円 (+配送料1冊185円) お問合せお申し込みはメールにて。お名前、お送り先、お電話番号、楽譜名、申込数を明記してお申し込み下さい。こちらより振込先をお知らせいたします。ご入金確認後の発送となります。
 楽譜は、演奏の便宜を考え、曲の途中で譜めくりが必要ないように配慮しました。詩は音楽との関係で、それぞれ朗読する個所に記載してありますので、音楽に合わせてページをたどりながら楽しんでいただけます。


イノック・アーデン 改訂版(2021)

改訂版にあたって

第1版では、音楽と朗読のタイミングを合わせる指示を何箇所か省略しました。それは、日本語とド イツ語の音声的要素や語順の違いなどから、細部にわたってタイミングを合わせることが表現として必ず しも有効ではないと思ったからです。しかし朗読実践を重ねるうちに、原曲の意図を忠実に活かしてみ たいと感じるようになってきました。それで今回、そのタイミング指示をすべて活かす形で改訂しました。 ドイツ語と同じ意味の日本語をあてることが無理なところも少なからずありますが、そこは文脈からふさ わしい言葉を選びました。そして、朗読に必要な時間と音楽の進行とを照らし合わせ、楽譜上のドイツ 語朗読表記に従って、日本語の表記位置を整えました。これによって音楽と朗読の緩やかな結びつき を原曲の意図に基づいて表示することが出来ました。朗読の際、音楽とのタイミングを意識することでど うしても表現が損なわれてしまう場合には、ご自身の判断で多少自由に朗読していただいても良いかと 思います。また、単独の朗読部分の翻訳にも一部手を加えました。 今回の改訂によって、音楽と日本語朗読はより密接に結びつき、シュトラウスの意図をより忠実に反 映した翻訳となりました。その分、朗読者には音楽への更なる理解が必要となり、またピアニストには 朗読のテンポや間合いを密接に感じて音楽へ反映する感覚が求められます。単に音楽を背景に伴った 朗読ではなく、朗読と音楽が有機的に結びついた作品です。その真価を日本語でも感じていただけれ ば幸いです

〜ピアノと朗読のためのメロドラマ〜
A.テニスン・原作/R.シュトラウス・作曲/谷篤・翻訳、台本

 

楽譜サンプル 1

楽譜サンプル 2

 「イノック・アーデン」は、音楽を伴う朗読「メロドラマ」というスタイルの作品です。既に交響詩「ドン・ファン」の作曲家として注目されていたシュトラウスにとって、このような「メロドラマ」の作曲は、交響詩のように全力を傾けたものではなかったでしょう。しかしそれ故、より親しみ易く、分かり易い作品となっていて、その点ではシュトラウスの作品の中でも傑出していると言えるでしょう。3人の登場人物、イノック、アニイ、フイリップには、それぞれ特定のライト・モティーフ(示導動機)があり、それを様々に変容させることによって、その人物の心理状態や、出来事を、音楽で措いてゆきます。この手法は、シュトラウスが交響詩でも、また後年の数々のオペラでも愛用した手法です。
  原作は、イギリスの詩人、アルフレッド・テニスン(1809〜92)による散文詩です。初版は1864年。即日1万5千部を売り尽したというベストセラー。 キリスト教的救済をテーマとして描かれていますが、三人の幼なじみの愛と友情の物語でもあります。 シュトラウスは、シュトロートマン訳のドイツ語に基づいて作曲しています。
  1988年に初めて日本語翻訳を行い、数回の改定を経て、2005年初め、全編に渡って新たに翻訳を行いました。原詩のニュアンスを生かすこと、聴き言葉として美しい日本語にすること、この時に矛盾する二つの要素をいかに両立させるかが、とても難しく、また楽しい作業でもありました。新翻訳版の初演は、2005年3月30日、「ひととときの歌・4〜語りと音楽、歌の夕べ・第二夜」。ピアノは揚原祥子。
 あらすじ
〜 ある港に育った3人の幼なじみの愛と友情の物語 〜
 二人の青年は一人の娘アニイ・リイに想いを寄せる。勇敢な船乗りイノック・アーデンは、愛を打ち明け、フィリップ・レイはその想いを心に秘める。アニイはイノックを愛し、二人は結婚する。あるときイノックは、子供達の将来を考え、稼ぎのよい東洋への航海に出る。残されたアニイは小間物屋を営むが、上手くいかず、次第に貧乏になっていく。アニイにずっと想いを寄せていたフイリップは、そんなアニイ一家の困窮を、イノックに代わって支援する。やがて十年が過ぎ、アニイはイノックの死を悟り、子供達のため、またフイリップの誠意に報いるために彼と結婚する。しかしイノックは生きていた。彼は難破し、流れ着いた無人島で、故郷へ帰ることを支えに生き延びていたのである。そして難破より十数年後、別の船に助けられたイノックは故郷へと帰るが、そこには妻と子供達の新しい幸福な生活があった。彼は自らの運命を悟り、妻と子供たちの幸福を壊さぬため、その素姓を隠し、波止場の安宿で暮らす。そして自らの最期を悟ったとき、イノックは女将にすべてを話し、この世を去る。美しくも悲しい、愛と友情の物語である。

 日本語翻訳にあたって
耳で聞いて理解できる日本語表現。
散文詩としての韻律。 
 原作の散文詩というスタイルを踏まえ、日本語においても韻律を整えるよう言葉を選びました。
自然な日本語表現と作曲者の意図した物語と音楽との密接な結びつきの両立。
 
これがこの翻訳において、もっとも重要で苦心したところです。作曲されたドイツ語では、時に言葉一語一語に対して、音楽との綿密なタイミングが指示されています。日本語は欧米語とは語順が異なりますから、シュトラウスの作曲に従って直訳すると、かなり特殊な日本語にならざるを得ません。逆に日本語の表現を優先すると、音楽と言葉との関係が損なわれることになります。こういうところの翻訳においては、基本的に日本語の表現を優先し、その上でシュトラウスがその場面で目指した表現の方向性を音楽からくみ取り、日本語において音楽と言葉との関係を再構築しました。これがこの翻訳の最大の特徴です。

 公演について
出演者は朗読者とピアニストの二人です。
上演時間は全編で1時間15分程。(60分の短縮バージョンもあります)
基本的にマイクは使いません。マイクを通して朗読すると、ピアノの奏でる音楽と違和感が生じます。マイクを通して拡声された声は、生き物としての人間にとってはありえない、違和感のある声です。音源の位置、大きさ、距離感が自然の状態とは異なっています。言葉の意味の伝達という面では拡声装置は便利ですが、芸術的表現の場合は感覚に訴えかける要素が多く、この違和感は決して無視できないものです。会場の音響特性にもよりますが、400〜500名くらいまでの会場でしたらマイクなしで上演可能です。

日本語による全編とピアノパートを一冊にまとめた楽譜(ライト・モティーフと楽語につての解説付き)があります。お問合せ、お申し込みはメールにて。
楽譜「イノック・アーデン/谷篤・翻訳」A4 ¥3,000円(+配送料1冊250円)お名前、お送り先、お電話番号、楽譜名、申込数を明記してお申し込み下さい。こちらより振込先をお知らせいたします。ご入金確認後の発送となります。



プラテーロと私
J.R.ヒメネス・作詩/M.カステルヌオーヴォ=テデスコ・作曲 ギターと朗読のための
「プラテーロと私」は、スペインの詩人、J.R.ヒメネスの代表作。詩人の故郷モゲールを舞台に、愛するロバ「プラテーロ」との心の交流や想い出を通して、アンダルシアの田舎町の牧歌的風物や自然、貧困や偽善といった人間の内面などを描いた散文詩です。1917年に完全版が出版されるとスペイン国内はもとより、広く世界中で愛読され、82年のある資料によれば、20カ国語、57種の翻訳が出版されています。プラテーロに優しく語りかける口調で綴られた全138編は、副題の「アンダルシアのエレジー」が示すように、エレジーと牧歌の間を往き来する、詩人の優しい眼差しにあふれた珠玉の物語です。作曲のM.カステルヌオーヴォ=テデスコはイタリア系ユダヤ人で、1939年にはムッソリーニの迫害を逃れてアメリカに移住し、作曲活動を続けました。映画「名犬ラッシー」の音楽などで知られています。

 翻訳について
 ひとときの歌4〜語りと音楽、歌の夕べ〜第一夜。2005年 3月23日(水)の公演のために全28曲のうち、9曲を翻訳。朗読:谷 篤/ギター:鈴木 大介。
 原曲は、楽譜に詩が並行して書き込まれています。音楽の流れに従って詩が朗読されるようになっています。言葉は流れるように読まれるところと、音楽との間合いを計って読まれるところがあります。スペイン語と日本語では語順が違いますから、単に翻訳するだけでは音楽との関連が損なわれてしまいます。テデスコは詩の流れに従って作曲した訳ですから、その音楽的イメージを十分感じ取った上で、翻訳を進めました。つまり作曲者が意図した音楽と言葉との関係をいかし、そして日本語として不自然な表現にならないよう努めました。

 


兵士の物語
F.ラミューズ・原作/I.ストラヴィンスキー・作曲/谷篤・翻訳、台本

 台本作成について
 2001年4月30日、世田谷パブリックシアターでの公演のために翻訳、台本を作成。本来は、7人の室内楽、4人の語り手、4人のダンサー(パントマイム)で上演される作品。作曲された当時、公演費用をコンパクトにするためにこのような編成で作品が作られたということだが、現在、演奏家たちの手による自主公演ではこの編成でも負担が大きい場合が多く、この日本語台本も、朗読は一人、ダンサーは無しという状況で作成した。翻訳にあたっては、言語のニュアンスを大切にしつつも、聴くための日本語としての表現を心がけた。また、日本語での上演として分かりやすく、楽しめるように、細部における内容の変更、カットを随時行った。基本的ストーリーの変更は無いが、冒頭に前芝居を挿入し、「モラルの低下した現代社会への風刺」という側面を強く打ち出す要素を加えた。

 <前芝居>台本 (本編は省略)
(カンツォーネを歌いながら登場)
「皆さま、『THEATRICAL MUSIC NIGHT in さんちゃ』にようこそ。音楽と物語でつづる一夜の宴。どうぞ最後までお楽しみ下さい。私は今宵、皆さまを物語の世界へとご案内いたします「アクマ」でございます。趣味はカンツォーネを歌うこと。歌はいいですね。歌っているときは、いやなことも全部忘れられる。魂が救われる気分になります。そう、音楽には人の心を慰め、魂を浄化する力がございます。音楽によって清め、高められた魂は実に甘美なものとなります。あ、申し遅れましたが、私の仕事は、皆さまの大切なもの、すなわち時間や思い出、それから魂を頂戴することでございます。近ごろは、お得意様も増え、ずいぶん仕事が楽になりました。特に都会の皆様の暮らしは大変忙しい。ですから、私共が少々時間を頂戴しても、ほとんどお気づきにならない。昔はこうはいきませんでした。何せ時間がゆっくり流れておりましたから。下手に手出しをしようものならたちまちばれてしまいます。手を変え品を替え、それと気づかれないように随分苦労したものです。魂もかつてはそう簡単に手放して頂けませんでしたが、近頃では僅かばかりの名声や富で、簡単にお譲りいただけます。政治家、官僚、お医者様、警察官など、この国の重要な地位を占める方々の中には、私共のお得意様が大勢いらっしゃいます。いい時代になったものです。そう、実にいい時代。いい時代なんですが、少々困ったことが。魂の質がどんどん悪くなってきているのでございます。中には私共ですら驚くほどドス黒く汚れ、腐敗し始めているものもございます。もちろんそのような質の悪い魂はゴミとして処分されます。実は、この魂ゴミの処理がなかなか厄介な代物でして、扱い方を一つ間違えると、ダイオキシンなどの有毒ガスを発生したり、稀に爆発したりするのです。処理に伴う事故も年々増加しております。また、その費用も馬鹿になりません。今年に入って魂ゴミの回収はとうとう有料になってしまいました。それに伴い、魂ゴミの不法投棄も増え、新たな魔界問題になってきております。これも皆さまの魂の質の低下が最大の原因。というわけで、今宵は、音楽で皆さまの魂をお清めし、寓意に満ちた物語を通して魂のあり方について今一度お考え頂きたいと心よりお願いする次第でございます。 (器楽演奏者、指揮者は口上の途中より三々五々舞台に登場し、ここまでに全員がそろう。) ではメンバーも揃いましので、そろそろ始めたいと思います。
  これよりお送りいたしますお話の舞台は、人々がまだのんびりと暮らしていたころのフランス。ある「兵士の物語」でございます。」
  <本編>
(エンディング)
「幸せは一つで十分、二つになったら無くなったのと同じこと。皆さんはどのようにお感じになりましたでしょうか。今の幸せに飽き足らず、もっともっと幸せが欲しいと願っている欲深いあなた。近々、魂を頂戴しに参ります。ではそれまでどうぞご機嫌よう。」
 <悪魔の勝利の行進曲>

 

 

 

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