シューマン『リーダークライスOp.39』に想う

 この歌曲集は、見知らぬもの、人知を超えた存在、とらえがたい感情、そういった未知なるものに起草される詩的世界が描かれています。森に潜む魔女、未来を予言する星、化石となった騎士、心を惑わす黄昏、孤独を歌う森、奇跡の再来、解き放たれる魂・・・。それは詩人と作曲家が生きた時代のロマン主義そのものともいえましょうが、その精神世界は私に羨望の念を抱かせます。我々が暮らす都市という説明可能な機能的空間では、それらはすべて物語の世界に過ぎず、現実ではありません。しかしかつて、人々はそれらを信じ、畏れる感受性を持っていたのだと思います。
 都市で最も恐ろしい存在はおそらく人間そのものでしょう。これはとても悲しく皮肉なことだと思います。
 余談ですが、私の原風景の一つに、暗やみに包まれてゆく恐怖があります。かなり幼い頃、山中で一人、道に迷った時の記憶です。前後は良く覚えていませんが、巨大な暗やみが空から降りてきて、それに呑み込まれてゆくような言い知れぬ感覚だけが、今もはっきりと心に残っています。



〜 夕暮れに想う 〜

 昼から夜へと移り行くひととき。光と闇の力は拮抗し、どちらの支配を受けることも無くなるそのとき。夕暮れの光と色彩は人を魅了し、精神は解き放たれる。神の世界を感じ、愛しい人を想い、異界と交信し、その美の極致を味わい、人生の意味を見いだし、根源的孤独を受け止め、人間の原罪を問い、前世へと思いを馳せる。時に無上の喜びに包まれ、時に言い知れぬ不安に襲われる。



〜 さまざまな愛の歌 〜

 古の昔から、人はさまざまな想いを歌にしてきました。中でも「愛の歌」は、おそらくこの世で一番数多く、多様でしょう。「愛」は人にとって根源的なものであり、言い換えれば「生きる証」、「人生そのもの」とも言えるでしょう。時代、民族、言語、聖俗を越え、「愛」はいつも歌われてきました。その喜び、悲しみ、官能、苦悩・・・を。それは、人が常に誰かを求めて止まない証、つまり人間とは孤独な存在であるという証明です。孤独な魂は救いを求め、その苦悩や喜びを芸術へと昇華させる。



〜歌の慰め 〜

 「音楽には真の哲学がある。なぜなら、音楽は去りゆくもの、死についての絶えざる考察だからである。」これは中世ヨーロッパの音楽理論家Adam von Fulda(?−1505)の言葉です。音楽も人生も時の経過とともに消え去ってしまう儚い存在であるということでしょう。消えゆくもの、死について考えるということは、言い換えれば生について考えるということです。生と死は表裏一体、生は死によって完結するわけですから。
 人はなぜ歌うのか。歌について考えるとき、この「死(生)についての絶えざる考察」ということが、私には一つの答えであるように思われます。人は歌を通して、儚く過ぎゆく人生の意味を感じるのではないでしょうか。そして、歌はイキ(息)から響き出るもの。歌うことは、すなわちイキ(生)ること。だからこそ、歌(音楽)は生の意味を解き明かし、苦悩を慰め、悲しみを癒し、喜びを膨らませてくれるのだと思うのです。

 

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