私の道標《パイドロス》   CD&DVD『柴田南雄とその時代 第2期』掲載

 1995年初夏、ある演奏の依頼がきました。歌う作品は「柴田南雄作曲、パイドロス」。その秋に北九州市立響ホールで開催される「柴田南雄50年の軌跡」と銘打たれたコンサートのプログラムのひとつでした。柴田先生のお名前はもちろん以前より存じ上げておりましたし、先生の作品も色々と拝聴し、その豊かな知性と芸術性に深く感銘を受けておりました。ですから、柴田先生の作品を演奏できるこの依頼は私にとって大変光栄で、是非にという気持ちでお話しをうかがいました。しかし「パイドロス」という作品については全く存じ上げず、私に歌えるものだろうかという不安も同時にありました。それでまず楽譜を拝見し、少し時間を頂いてから正式にお返事させていただくことにしました。
 数日後、手元に届いた楽譜を見て、私は愕然としました。音域はバリトンからカウンターテナーに至るほぼ3オクターヴ。一緒に演奏する楽器はリコーダーのみで、それも伴奏というものではなく、曲中の指定された個所でギリシャ時代の旋律の断片を演奏者が任意に選んで奏するというもの。歌の旋律に調性はほとんどなく、全音音階を基調とした、とらえどころのない自由奔放にも感じられる歌。おまけに演奏時間が30分近くの大作で、そのコンサートを締めくくる作品です。第一印象は、私にはとても無理。呆然としたまま数日が過ぎてゆきました。でもなんとか頑張ろうと気持ちを立て直して、最初の一節を練習してみることにしました。それまでにも、自分の技量では到底太刀打ちできないような作品を歌わせていただく機会は幾度もあり、その度に、それに挑むことで沢山のことを学び、鍛えられてきた経験があります。ですから、「今回も頑張ってみたい」そんな気持ちだけで練習に取りかかりました。数日練習しても、歌えるという確かな手応えは持てないままだったのですが、こんな貴重な機会を逃したくないという思いと、この作品の演奏者として私を選んで下さった数住岸子さん(当時響ホール音楽監督、ヴァイオリニスト)のお心に応えたいという気持ちだけで、出演をお受けすることを決心させていただきました。
 それからは、連日ひたすら繰り返す練習。言葉に潜む感情の抑揚と柴田先生が選ばれた旋律が自分の中で馴染むまで、何度も何度も繰り返して歌う。調性がほとんど感じられない、いわゆるドレミとは全く異なったその旋律は、私の感覚を拒否し、破壊し、何度繰り返しても「そうじゃないよ」とあざ笑うかのように、するりとすり抜けていきました。やがて知恵熱のようなものが出てきて、葛藤は激しさを増しました。知恵熱を実感したのは生涯でこれが二度目で、一度目もやはり自分の能力以上の作品に挑んだ時でした。でもしばらくすると知恵熱は治まり、少しずつ旋律が馴染んできました。はじめは苦痛でさえあったものが、次第に親しい友のようになり、やがてユーモアや知性さえ感じられるようになってきました。<美少年を口説くとき、恋愛感情はある方が良いか、ない方が良いか>という、私の日常とは全くかけ離れた大胆なテーマについて議論するパイドロスとソクラテス。そんな二人の対話を、自分が一人で歌い分けてゆく。これは望んで得られるような体験ではありません。対話の内容もユーモアに満ち、時にはシリアスに、時にはナンセンスに、縦横無尽に展開してゆきます。酒と恋を歌った古代ギリシャの詩人アナクレオンに言及するところでは、フーゴーヴォルフの歌曲「アナクレオンの墓」の一節がさりげなく引用されたり、対話の結論に至るクライマックスではギリシャ旋法の美しい旋律が浮かび上がったり・・・。練習が進むにつれ、喜びはどんどん膨らんでゆきました。
 手書きの楽譜は、初演時以来手は加えられておらず、一部拍数が合わないなど不整合な部分がありましたが、柴田先生とご相談して訂正していただきました。演奏や表現について、また初演時のエピソードなども、お電話でいろいろとお話しをうかがうことが出来ました。先生の奥ゆかしいお話しぶりは知性とユーモアにあふれ、音楽家としてだけでなく、人生の先達として、憧れと尊敬の念を抱きました。そして演奏家を信頼して託して下さるお心に、感銘と同時に身の引き締まる思いを覚えました。結局演奏については、私が判断を迷う点についてはアドヴァイスをいただき、あとはすべて任せて下さったのです。そうして柴田先生に私の演奏を聴いていただいたのは、本番会場に入ってからでした。
 そのコンサートは、柴田先生ご自身による作品についてのお話しを交えながら、進行しました。「パイドロス」は最後の曲目。パイドロスについてのお話しの後半で「これは正直申して聞物といっていいんじゃないでしょうか。私もさっきリハーサルを聞いて、もう非常に、これはみなさんに喜んでいただけるんじゃないかと思った次第でございます。プログラムに印刷していただきましたテキストと首っ引きでなく、どうぞここでパフォーマンスなさる谷さんの声を直にお聞きいただきたいと思うんですよね。」と紹介してくださいました。舞台袖で緊張の頂点にいた私は、先生のこの言葉にどれほど励まされたことでしょう。背中を押していただいたような思いで舞台へと出て行きました。
 演奏会が終わって打ち上げの席、奥様の純子先生が私にこうおっしゃって下さいました。「谷さんの演奏を聴いて、柴田が何をしたかったのかがよくわかりました。」柴田先生の傍らにいらして、その作品を深く理解なさっている純子先生からのこの言葉は、演奏を終えてほっと一安心した私には何にも勝るご褒美で、演奏家冥利に尽きるものでした。
 「パイドロス」を歌うことを通して、私は知性が持つ豊かさと暖かさ、ユーモアの多様性といったことを身を以て学びました。そして自分の感性の壁が壊され、それまでよりまた少し自由になれたと実感出来ました。名作と出会い、演奏を通して学び、鍛えられることは、演奏家として本当に光栄であり、幸いなことです。
 この「柴田南雄50年の軌跡」は、私にとって、柴田先生とご一緒させていただいた最初で最後の公演となりました。願わくば、もっともっと沢山のことを教えていただきたかったと切に思います。でもそこで学び、感じたことは、今も私の歌を支えてくれ、進むべき先を指し示してくれる道標となっています。「パイドロス」を含め、柴田先生が遺して下さった作品の数々は、私に更なる学びと喜びを与えてくれる掛け替えのない音楽なのです。

 

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