<歌曲>
 歌曲を歌う場合、その言語を流暢に話せる能力は必ずしも必要ではありません。それよりも大切なのは、詩の内容をよく理解し、深く感じとり、その言語固有の響きを豊かに美しく発音できることなのです。詩は古来、ヨーロッパにおいても日本においても、歌われるものでした。詩が歌われずに、言葉だけで存在するようになったのはここ数世紀のこと。歌曲はまさに、詩が歌を取り戻した表現といえます。それも、言葉の奥に豊かに広がる精神を音楽によって響かせ、言葉だけでは伝えきれない感覚までも表現する芸術といえるでしょう。そのためには、詩の深い理解と同時に、言葉が豊かに美しく響くことが大切なのです。
 現代は視覚が支配的に影響を与える社会です。音については、あらゆる面で軽視される傾向を感じます。言葉においても、情報社会では文字が重要な働きを担い、言葉の音としても要素は見過ごされがちです。しかし、文字が伝えるのは意味にすぎません。人が発する言葉には、意味だけではない気持ちが込められています。言葉とは本来音として存在するもので、文字は記録に過ぎません。言葉は本来、音として空間に出現し、次の瞬間に消えてしまう存在なのです。言葉が豊かに響くと、言葉は、意味以上の力を持った存在になります。たとえば、呪文。言葉から意味が欠落し、音としてのみ力を持った言葉です。私は決して盲目的に呪文を信用しているわけではありませんが、豊かな響きとして存在する言葉の力は信じています。歌はまさに豊かなる言葉なのです。だからこそ歌は、民族や言葉を超えて、何かを伝えることができるのです。
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 19世紀、シューベルト、シューマンといった天才の出現により、ドイツに世界史の奇跡とも呼ぶにふさわしい芸術歌曲(リート)が生まれます。そしてその影響を受け、半世紀近く遅れてフランスにもドイツリートに匹敵する素晴らしい芸術歌曲(メロディー)が生まれます。それらはすべて天才の業ですが、その成立にはドイツ語とフランス語のもつ響きの特性の違いが大きく影響を与えています。歌曲を歌う場合、このそれぞれの言語が持つ響きの特性を十分に感じ取り、また理解することがとても重要なこととなります。
 これは全くの私見ですが、ドイツとフランスを代表する二人の歌手、フィッシャーディースカウとジェラールスゼーの演奏を聴くと、ディースカウが歌うフランス歌曲は、ドイツ的な響きが拭えず、スゼーが歌うドイツ歌曲はどこかフランス的な響きが聴こえてきます。私がここで言う響きとは、音声学的なものですが、それは歌曲の表現の在り方にも大きく影響を与えているように思います。
 もちろん一歩踏み込んで言えば、言葉というものは、時代や地域によって微妙に異なり、百人いれば百通りの響きがあります。芸術表現は人間の精神の在り方から発せられるのですから、まさにその響きは百通り。しかし、それを前提とし、それを集約するものとして、フランス的な響き、ドイツ的な響きというものは確かにあると思います。
 私は声楽の勉強を始めて数年後、ドイツ歌曲を学び、そののちフランス歌曲を歌うようになりました。フランス歌曲に取り組み、フランス語に少々慣れてきたあたりで一つの悩みが生まれました。それは、ドイツ語がどうしてもフランス語の響きに近づいてしまうことでした。それでしばらくドイツ語に専念すると、ドイツ語の語感は戻ってくるのですが、今度は逆にフランス語がドイツ語的に響いてしまうのです。現在では容易に二つの言語を歌う分けることが出来ますが、それでもどちらかの言語からしばらく離れると、細部の精度が狂いやすいように感じます。私は日本語が母国語ですから、フランス語もドイツ語も、ほぼ同じ距離感で取り組めますが、どちらかが母国語であれば、その影響は計り知れないほどに大きいと思います。

<フランス歌曲> 〜Mélodie〜

フランス語の響きは、15の母音(そのうちの4つはフランス語特有の鼻音)、3つの半母音、17の子音からつくられます。
そしてその音節には2つの原則があります。
  1. 全ての音節は、ただ一つの母音だけを含むものでなければならない。
  2. 全ての音節は子音で始まり、母音で終わる。
  3. これには例外がある。
    母音で始まる単語(enfent)。
    単語内で母音が連続する。(cruel:cru-el)
フランス語は、完全に母音を基礎とする言語といえます。
ですから、歌うときには、母音の響きがレガートにつながることがとても大切になります。

1.諧調(アルモニー)について
 あまり聞き慣れない言葉ですが、フランスの詩においては「この詩はアルモニーが豊である。」というような表現が、詩の評価に使われます。諧調(L'harmonie)とは、一般的には音楽のハーモニー(和声)と同じ語源で、文字通り詩句の音楽と呼べる要素です。具体的には、2つないし3つの母音のまとまりで、音色によって互いに区別されます。表現力はなく、詩句の内容とは無関係です。

(3音節ずつの4つのグループで、第1と第3が、第2と第4が呼応している。)

2.歌曲におけるフランス語、会話との相違点
 歌曲におけるフランス語の発音は、一般会話と少し異なる点があります。
  • 会話では発音されない[e]が、発音される場合がある。 
     balancée(バランセゥ)
  • 会話では軟口蓋(上あごの奥)を震わせて発音する[r]は、巻き舌で発音される。(イタリア語と同じ)
  • リエゾンが多くなる。(単語の終わりの子音が次の単語の始まりの母音と結びついてい発音されること。この子音は単独では発音されない。) フランス語は、母音が続くことを嫌う感覚があり、リエゾンによって、母音の連続を回避します。これは、会話より散文朗読、散文より詩を朗読する場合の方が多くなり、歌う場合は一層多くなる傾向があります。リエゾンには、必ずしなければならないものと、禁じられたものと、随意(どちらでもよい)のものがあります。
     
    petit(プティ)が、petit enfant(プティタンファン)となる。
 
 
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