谷 篤 ソロリサイタルシリーズ

 
   歌い手として三つの視点から「歌の行方」を見つめたい。

1.歌は、個の意識よりさらに深く広い「共通の無意識」を源泉とし、歌う者の肉体を 通って時空を共有する他者へと向かい、「共生の歓び」を呼び起こす。折口信夫によれば「歌う」とは「うったう」ことであり、それは、他者へと向かう切なる自己表現といえよう。内的衝動が発露されるとき、言葉にとどまらない切なる高まりをもって歌となり、歌は言葉を越えて深い芸術表現へと至るのである。そのためには、歌われる言葉がその民族固有の感性から発露された豊かな音として響く事、つまり日本語が実感ある言葉として伝わることが大切である。
 歌う者として『歌の行方』を見つめる。


2.ドイツリート、フランス近代メロディーなど、現在に伝えられる名歌は、時代や民族を越え、我々日本人にとってもかけがえのない精神的財産である。それは歌い継がれ、伝承を通してその真価が問われた結果でもある。我国近代に創造された多様な芸術歌曲から、価値ある歌を歌い継ぎ、その真価を社会に問いかける。
 伝承者として『歌の行方』を見つめる。


3.
新たな歌を創造する。作曲家との共同作業である新作委嘱活動を通して、より多様 な芸術的成果を次の時代へと伝えてゆく。
 創造の一翼を担う者として『歌の行方』を見つ める。
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第3回〜イキョウ ものがたり〜
2003年12月2日(火)19:00開演 東京文化会館小ホール
<曲目>
1.故郷の土(歌と琵琶、1982) 川田順・作詩/柴田南雄・作曲
   琵琶:田中之雄
2.パイドロス−はばたくエロス (バリトン〜カウンターテナーとリコーダー、1978)
  プラトン・原作/柴田南雄・訳/柴田南雄・作曲
   リコーダー:柴田雄康
3.「駈込み訴え」(歌と打楽器、2001委嘱初演)
   太宰治・原作/山元清多・台本/林光・作曲
  打楽器:吉原すみれ
4.遠野民譚抄(遠野物語より)(歌と箏、委嘱作品)柳田国男・原作/吉川和夫・作曲
   箏:福永千惠子
 
今回のテーマ「イキョウ、ものがたり」  
 
「イキョウ」は、「異郷」と「異響」の2つの意味。
 我々が暮らす現代日本とは異なった精神世界、すなわち異郷を描いた作品を取り上げる。異郷は異なるがゆえに、現代日本の精神の特質や歪みを照らし出し、物質的豊かさと引き換えに失ってしまった価値ある精神世界を我々に気付かせてくれる道標となりうる。
 琵琶、リコーダー、打楽器、箏、それぞれに特色の有る楽器とのアンサンブルを通して、歌の表現の本質が浮き彫りにされる。異響によって声の特質が照らし出される。
 物語としてそれぞれ異なったスタイルをもつ作品を取り上げる。異なるが故に、他のスタイルの特色を照らし出す。
 

故郷の土

 釈迦の弟子、舎利弗が涅槃に入るために故郷へと帰る話。教えに従って自命を絶つという崇高な精神と、その場所として故郷を選ぶという人として誠に素直な情を描いた作品。信仰から自命を絶つ行為は、現代ではカルト的負のイメージがつきまとうが、この作品はそのような狂信的なものではなく、もはや現代には存在しえない、悟りを得た者だけが体現しうる穏やかで崇高な精神世界を描いている。
 伝統的な筑前琵琶による弾き謡いのスタイルを踏襲した、新たな創作である。

パイドロス
  古代ギリシャの美少年愛育法の奥義、すなわち、美少年を愛するには、恋愛関係に無いほうが良いのか、ある方が良いのかということをテーマに、ソクラテスとパイドロスが対話形式で議論を展開する。修辞学を駆使した形式堅固な文体がすこぶるとぼけていて面白い。このような知的ユーモアこそ、現代日本に足りない豊かさである。
 歌はバリトンからカウンターテナーまでの音域と声色を駆使し、対話を歌いわけてゆく。リコーダーは古代ギリシャの旋律断片を自由に選び、歌を即興的に伴奏する。男声が女声の音域を歌うファルセットの倒錯的な表現特性は、この作品のユーモアをいっそう際立たせる。

「駈込み訴え」からの三つの断章
  ユダがイエスを裏切り、役人に訴え出るという話。自分の思いが受け入れられず、愛情が憎しみへと変わってしまう人間感情の矛盾を描いた作品。孤独と向き合う感性の衰えた現代では、このような変心はいともたやすく起こるが、ここで描かれているユダの心情は、身勝手ではあるが、自らの孤独と深く向かい合った末の変心であり、現代の精神的脆弱さとは一線を画する。
 文体は、ユダが役人に訴える一人芝居のような形式で、江戸話芸を彷彿とさせる絢爛たる語調を持つ。三つの断章は、その心理描写にふさわしい、それぞれ異なる打楽器が使われる。
  歌の行方・第2(2001年12月)にて、委嘱初演。

遠野民譚抄(遠野物語より)
  岩手県遠野地方に伝わる話を民俗学的記録としてまとめたもの。そこに描かれているのは、仏教伝来以前からこの国に存在したアニミズムにまでその源流を遡ることが出来る神懸り的世界である。しかしそれは明治以降、西洋的近代化の中で急速に失われてしまった。源流でありながら現在では異郷とも呼べるこの物語は、近代物質文明の精神的脆弱さを照らし出し、新たな精神的価値観の啓示となりうるものである。
 物語は、主観を抑えた簡潔な文語体で書かれている。しかしその文脈には、作者柳田国男の抑えても抑えきれない知的高揚が感じられ、それが、単に民俗学的記録に留まらないこの物語の特異な魅力である。
 
第2回〜歌と打楽器による作品集〜
2001年12月20日(金)19:00開演 東京文化会館小ホール
打楽器:吉原すみれ
『おっとせい』
   金子光晴・詩/萩京子・曲
『月に吠える』〜萩原朔太郎の詩と言葉による〜
   大阪洋史・曲 (委嘱初演)
 「序1」「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」「椅子」
 「序2」「およぐひと」「春夜」「貝」
 「序3」「贈物にそへて」「麦畑の一隅にて」「卵」
『魔法のことばVer.2』(アメリカインディアンの詩による)
   金関寿夫・訳/吉川和夫・曲(リメイク初演)
 「青い夜がおりてくる」「狩の歌」「夢」
 「ありがとう、十七部からなる詩より」「魔法のことばVer.2」
『「駈込み訴え」からの三つの断章 』
   太宰治・原作/山元清多・台本/林光・曲(委嘱初演)
『骨のうたう』(竹内浩三の詩による )
   高橋悠治・曲

〜公演プログラムより〜

『おっとせい』について   萩京子
 
 『おっとせい』の初演は1982年9月19日、「コンサート・イン・新座」というコンサートで、演奏は松下武史(テノール)、松倉利之(マリンバ)だった。初演では、石垣りんの『くらし』、関根弘の『絵の宿題』、鈴木志郎康の『口辺筋肉感覚説による抒情的作品抄作品2,作品10』、そしてこの金子光晴の『おっとせい』をまとめて、【社会の詩】というタイトルとした。【社会の詩】というネーミングは、 鈴木志郎康氏の編集したアンソロジーから拝借した。この文章を書くまで、私は 『おっとせい』もそのアンソロジーに入っていたものと思いこんでいたが、そこに入っている金子光晴の詩は『戦争』だった。『戦争』という詩に興味を持って彼の詩を読むうちに『おっとせい』に惹かれたのだろうか。私も自分を「むこうむきになってるおっとせい」のように感じることがあるので、この詩にとても共感した。そして私は『おっとせい』も【社会の詩】と呼ぶにふさわしいと考えたのだろう。 この詩のあまりのものすごさのためか、マリンバ伴奏としたためか、この曲は演奏される機会が少ない。1988年の緋国民楽派の演奏会ではピアノ伴奏ヴァージョン (歌は谷篤、ピアノは作曲者)で演奏した。それから数えても、もう13年である。 昨年秋、3ヶ月の研修ということでパリ滞在のおり、谷さんから電話がかかってきて、「来年の12月に吉原すみれさんに出演してもらってリサイタルをやるので 『おっとせい』を入れたい。」とのこと。1年以上も先のことをパリまで電話してきてくれて、私はとてもうれしかった。そして、ついてはそんなに急ぐこともないのに、書き直す必要があるかどうか考えるために、という名目でパリまで楽譜とテープを送ってもらって、研修先のペニッシュ・オペラ(船でオペラを上演しているところ)の 甲板で、『おっとせい』を聞いた。サン・マルタン運河に浮かんで『おっとせい』を聞いていたら、ますます自分が「うしろむきになってるおっとせい」のように思えてきたのだった。 ちなみに、書き直しについては、マリンバの部分に若干の加筆をおこなった。


『月に吠える』〜萩原朔太郎の詩と言葉による〜  大阪洋史
 
詩の序文にくりかえし出てくる「感情」という語。今では陳腐なこの言葉も当時はさぞ新鮮に響いたのでしょうが、つい気になってしまいます。で、やや唐突にこじつけて、約85年後の今日は、情緒を排するかわりに和声ぬきのうたを。「詩の表現は素樸なれ、詩のにほひは芳純でありたい」これは賛成。素朴というより貧相なわたしの曲も、声と打楽器のおふたりの存在感で炭火焼きのようにワイルドに料理していただければ幸いです。


<魔法のことば>Ver.2 アメリカ・インディアンの詩(金関寿夫訳)による  吉川和夫
 
金関寿夫氏の遺業によって、アメリカ・インディアンの詩や伝説が広く知られるようになった。民族が文字を持たないために、口承として伝えられてきたこれらの詩は、文学としてではなく、呪術としての役割を担ってきた。詩は霊力を持った生き物であり、魔法であり、実用として使われるものだったのだ。しかし今、私たちは印刷された紙(本)の上の活字としてこれらの詩を読む。しかも、原語から英語、さらに日本語に重訳された結果を、である。原語の音韻は知るべくもないし、だいいち私たちはインディアンすなわちアメリカ大陸先住民族とは全く違った文化の中で生きているのだからから、呪術としてのコトバの霊力をそのまま感じることは不可能だ。だが、金関氏の名訳を経て得た「意味」を通して、想像力を働かせることはできる。 『夢』は、谷篤さんからの委嘱による今回のコンサートのための書き下ろし。他の4 曲は、1999年佐山真知子さんのために作曲した9曲からの抜粋。『魔法のことば』は、ピアノとバス・マリンバという編成だったものを、今回バス・マリンバのみの版を作り、Ver.2とした。


「駈込み訴え」からの三つの断章 林 光
 
太宰治の「駈込み訴え」は、イエスを扱ったもっとも面白い文学作品ではないだろうか。ユダのほめ殺し的イエス観、江戸話芸が生かされた絢爛たる文体、一人芝居の脚本のような形式。長いあいだあたためていた素材だったが、なにしろ長い。山元清多さんのみごとなリライトをいただいたが、それでもたいへんに長い。それで今回は物語の結末までを追わない、三つの断章とした。 さいごまで方針が決まらないで谷さんにはご迷惑をかけたが、これはこれで、師と弟子の関係のある絞られた局面だけを覗く面白さが出るのではないかしらと思っている。


「骨のうたう(竹内浩三の詩による)」 高橋悠治
 
竹内浩三は第二次世界大戦中23歳で戦死した。ここではかれの詩4篇を歌にした。最も知られた詩「骨のうたう」は、流布している友人による編作ではなく、原形による。打楽器は、バリの竹のシロフォン・ティンクリックと小さなメタロフォン・チャルーン、アフリカの太鼓ジャンベ、タイのゴングを使い、それぞれの基本型をうたに 添って、即興で変形してゆく。 歌と打楽器は、いくつかの音を共有するが異なる数音の上で、それぞれの音楽をききながら独立に進行する。日本の兵士と東南アジアの村の女は一つの風景のなかにいて、心が触れ合うことはない。 この歌はもともと吉原すみれの依頼で彼女の恩師である鈴木寛一と二人で演奏するための曲として書いた。テノールのための曲で、しかも移調できないバリの打楽器をそのままにして、歌だけを低い調子でうたうと、こうなる。
 
 
第1回〜柴田南雄に捧ぐ〜
1999年9月16日(木)19:00開演 東京文化会館小ホール 
ピアノ:寺嶋陸也/リコーダー:柴田雄康
『優しき歌』(1944〜49)
   立原道造・詩
『厭な男』(1953 )
   P.ヴェルレーヌ・詩/鈴木信太郎・訳
『朝の歌』(1952)
   中原中也・詩
『かなしい遠景』
   萩原朔太郎・詩/吉川和夫・曲(委嘱新作・初演)
 「かなしい遠景」「くさつた蛤」「猫 」
 「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」「陽春」
『雨ニモマケズ』+<Displey'70>Version 2(1974)
   宮澤賢治・詩
『パイドロス−はばたくエロス』バリトン〜カウンターテナー、リコーダーのための(1978)
   プラトン・原作/柴田南雄・訳


〜公演プログラムより〜

<曲目解説>  柴田南雄(過去の公演プログラムより転載)


歌曲集「優しき歌 」
 立原道造は1939年に25歳で夭折した抒情詩人で、彼は建築家でもあった。口語の散文詩風の詩だが、ソネットの形をとっており、脚韻や頭韻の試みもみられる。作曲にあたっては、歌われている信濃の高原の気分とともに、それら構成的な要素もいかそうと考えた。僕の作品の中ではたしかに幸運に恵まれていて、二三の歌曲集にも納められている。

「厭な男」
 羽仁協子が、作曲のレッスンでこの詩を使って合唱曲を作ったことがあり、それが頭に残っていて自分でもこの詩をとりあげて見たくなり、その結果生まれた曲。1953年12月の作で、セリーによる完全な12音技法によっている。伴奏はピアノのために書いた。

「朝の歌」
 1952年の作。ベルクのカンタータ「ぶどう酒」のセリーを借用している。しかし構成は全然似てもいないし12音の技法も厳格ではなくかなり調的でもある。伴奏はオーケストラを予想して書いた。

「雨ニモマケズ」
 昭和49年に、わたくしが子供たちの作曲のクラスを受持っている尚美音楽院の学院祭のために作曲したもので、上演には演技を伴い、また、電子音楽のテープ演奏を一緒に スピーカーから流すことを予定して、旋律だけを作曲しました。(じつは、どのくらい短い時間で作れるか、自分を試してみるつもりでとりかかり、2時間26分で終了しました。)初演以来いつも、わたしの作った電子音楽 <Displey'70>(Version 2)と一緒に演奏しています。なお、この詩を選んだのは、賢治がこの詩を書いた日と、上記学院祭での初演日がともに11月3日である、というただそれだけの理由だったと思います。

「パイドロス−はばたくエロス」(バリトン〜カウンターテナーのための)
 古代ギリシャの美少年愛育方奥義を、声楽の秘義を尽くして表現する「演奏会アリア」の一種。内容はソクラテスとパイドロスの対話(プラトン作)で、それを一人の歌い手が歌いわける。さらに対話の間には演説が三回あり、第一の演説は美少年を愛するには、互いに恋愛関係にない方がよいとのリュシアスの論説の紹介、第二の演説はソクラテスがそれを聞き、自分ならその内容でもっと上手にやれる、と称して早口で試みるが成功せず、第三の演説で、やはり恋愛関係にある方がよかろうとの結論になる。修辞学で武装した形式堅固な演説の内容がすこぶるとぼけているのが味噌。リコーダーは紀元前5世紀から紀元2世紀までのギリシャの旋律断片を、奏者が自由に選択し歌を即興的に伴奏する。


「行き止まりの孤独」〜朔太郎をテキストにした理由〜  吉川和夫
 
谷さんからもらった宿題は、こうだ。 立原道造・中原中也・ヴェルレーヌ=鈴木信太郎・宮澤賢治の間に置いてハマるような「日本歌曲」を書いてほしい。「日本歌曲」かぁ、日本語歌曲はともかく、ジャンルとしての「日本歌曲」は敬して遠ざけていたからなぁ.....。 それで?何か歌ってみたい詩はあるんですかという問いに、谷さんは、例えばですがと控えめに何人かの詩人の名を挙げ、そこに朔太郎の名前もあった。 不覚ながら、数編の詩を除けば、ぼくはそれから初めて朔太郎を意識して読んだと言って良い。そして、とても驚いた。何なのだ、この人は。吉本隆明氏も書いている。 「萩原朔太郎には、すこし異常なところがあったようである。」(「朔太郎の世界」 )と。 その詩には、しばしば何とも薄気味悪い象徴が現れる。舌をべろべろ出している腐った蛤、土の底から出る手、蛆虫の這う腐肉、蝿の幽霊、泥猫の死骸。この薄気味悪さは、はじめシェーンベルク「ピエロ・リュネール」のアルベール・ジローを連想させる。が、それよりぐにゃぐにゃしていて、粘り気や湿り気があって、どうやら嫌な匂いも発しているらしい。なぜ、そんな気味の悪いものをわざわざ歌曲にするのだという非難が起きるのは承知の上で、五編の詩を選ぶことにした。あとで聞いたことだが 、谷さんがイメージしていた朔太郎は、「純情小曲集」の幾編かのような、ロマン、 いや浪漫ティックな詩句だったらしい。よりによって、こんな詩ばかり選ぶとは、と彼は紳士だから言わないが、きっとそう思っているだろう。朔太郎を読んでいると言ったら、寺嶋陸也はとても嫌な顔をした。たしかに彼には、この病気系、薬物系、異 常心理系、同性愛傾向系は似合わない。(かと言って、吉川には似合う、とも思ってほしくはないが。) 朔太郎の多くの詩には、ここから何かが芽生え、生育するという兆しが見えない。寄る辺ない行き止まりの孤独と「かなしみ」だけが抽象化され、どんよりと浮いている 。だが同時に、そこには何とも言えない「おかしみ」がある。ユーモアというには軽すぎる、読み手をはぐらかすような、また時には自虐的な滑稽感。 大正中期までに書かれたこれらの詩句の「かなしみ」や「おかしみ」を歌うことは、 人間の存在の孤独を、深い芸術表現として抽象化しようとする力の衰えている今日にこそ、ふさわしいことのように思える。それが、これらの詩をテキストとした理由である。五編の詩は、いずれも詩集「月に吠える」所載。

 
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