歌曲をもっと身近に、もっと気楽に、もっと存分に・・・・
歌曲を愛する歌い手として、その素晴らしさをもっと多くの人に味わってもらいたいという思いから
このシリーズを始めることにしました
歌曲には当然ですが歌詞があります
それは、ドイツ語であったりフランス語であったり・・・・
言葉が直接理解できればその魅力を味わうことが出来ますが
意味が分からないと何となく難しく感じたり、聴く前に身構えてしまったり
印刷された訳詩を読みながら聴くのも、聴くことに集中できないし
日本語訳の歌詞で歌うと、言葉と音楽の幸せな結びつきが希薄になってしまうし・・・・
そこで、まず
日本語の訳詩を朗読して、詩の世界を味わっていただきます
昨今、教育現場をはじめ、朗読の魅力が再発見されています
朗読とは、単に言葉の意味を音声で伝えることにとどまらず
その言葉の背景や言葉に潜む深い心理までをも表現することだと思います
ここではそのことを踏まえて、さらに音楽のインスピレーションをも感じながら詩を朗読し
続いて、歌曲として聴いていただきます
朗読と歌、二つの表現を通して
ひととき、歌曲の魅力ある世界に皆さまをお招きしたいと思います
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 公演チラシ 谷 篤 デザイン (詳細はOthers
 


 
ひとときの歌 第18回〜生の黄昏の調べ〜天才たちの白鳥の歌

2018年9月
16日(日)   14:00開演 (13:30開場) 三重県総合文化センター 第1リハーサル室(津公演)
予約・三重歌曲愛好会  内海080-5113-1649  一般前売り3,000円/学生1,000円

22日(土)   14:00開演 (13:30開場) 神楽公民館 木楽輪(きらりん)(旭川公演) 
予約・水野ピアノ調律事務所 090-3111-9844   一般前売り2,500円/学生1,000円

24日(月祝)14:00開演 (13:30開場) あばしりエコーセンター2000 エコーホール(網走公演)  
予約・合唱団あばしり  岩尾 090-3893-1905  一般前売り2,500円/学生1,000円

10月
8日(月祝)  14:00開演 (13:30開場) JTアートホール アフィニス(東京公演)
一般前売り3,500円/学生1,000円                     

谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催・予約・問合せ:このいち芸術舎

歌曲をもっと身近に、気楽に、存分に・・・・。歌曲の素晴らしさを多くの人に味わって頂きたいという思いからこのシリーズを始めました。
まず日本語訳詩を朗読し、詩の世界を味わって頂きます。朗読は単に言葉の意味を音声で伝えることではなく、言葉の背景やそこに潜む深い心理までをも伝え得る表現です。そこに音楽のインスピレーションをも加味ながら詩を朗読し 、続いて歌曲として聴いて頂きます。

津公演と網走公演に先立って、それぞれレクチャーが予定されています。
・網走:9月8日(土)17:10開場・17:20〜18:50 エコーセンター音楽室   一般1,000円/学生500円   
 予約・合唱団あばしり  岩尾 090-3893-1905

・津:9月15日(土)19:00開場・19:10〜20:40 三重県総合文化センター第一リハーサル室   一般1,000円/学生500円  
 予約・三重歌曲愛好会  内海080-5113-1649
 作曲家の最後の作品を「白鳥の歌」と呼びます。これは、白鳥が死を迎える時に特別に美しい声で鳴くという北欧伝説に因んでいます。勿論伝説通りに最後の作品が特別に美しいということではありませんが、その生涯の黄昏に作曲家の心にはいかなる景色が広がっていたのか、その境地を垣間見る事はできるでしょう。ブラームスは掛け替えのない友、そして自らの死を予期しながら、座右の銘であった聖書の言葉を歌にしました。それはまさに辞世の句とも呼べるものです。ヴォルフは内なる狂気に悩まされながら、自ら最上の出来栄えと評した歌曲を書きました。その半年後には精神病院に強制収監され、それが最後の作品となりました。76才のフォーレは、難聴に加え、音程がいびつに聴こえるという苦悩の中、28才で夭逝した詩人の遺作に共感し、現世から逃れゆき果てしない海へと向かう幻の旅を最後の歌曲として結実させました。ラヴェルは脳障害からくる記憶と身体機能の衰えと戦いながら、また資本家の営利主義に立ち向かい、まさにドンキホーテのごとく最後の作品を書き上げました。最愛の人と離別し、精神も肉体も衰弱し、経済的にも疲弊していったショパンは、故郷と家族への思いを募らせ、祖国の舞曲であるマズルカを遺作として残しました。
 今回歌う四つの歌曲集は、いずれもバス、バリトンのために作曲されました。それは詩や言葉の内容から相応しい声として選ばれたのでしょうが、これらの作品を歌えることは、バリトンという声に生まれついた私にとって、とても幸いなことです。そして天才たちが生涯の黄昏に見た精神世界をいかに共有し、表現出来るか、自らが試されるここと身が引き締まる思いです。日本語訳詞朗読を交え、「生の黄昏の調べ〜天才たちの白鳥の歌」を皆様と共に味わうひとときを過ごさせて頂けましたら光栄です。
 そしてSide Bとして、私の編曲による日本歌曲、アイルランド民謡を歌わせて頂きたいと思います。皆様のご来場を心よりお待ちしております。
デザイン:谷 篤

1. J.ブラームス:作曲

四つの厳粛な歌 Op.121
    〜Vier ernste Gesänge

1. Denn es gehet dem Menschen
2. Ich wandte mich, und sahe an Alle
3. O Tod, wie bitter bist du
4. Wenn ich mit Menschen


2. H.ヴォルフ:作曲

ミケランジェロの詩による3つの歌曲
  〜Drei Lieder nach Gedichten von Michelangelo

1.Wohl denk' ich oft
2.Alles endet, was entstehet
3.Fühlt meine Seele das ersehnte Licht von Gott


3. G.フォーレ:作曲

幻の水平線
   〜L'horizon chimérique, op.118

1.La mer est infinie 
2.Je me suis embarque 
3.Diane, Sélènê 
4.Vaisseaux, nous vous aurons aimés

4. M.ラヴェル:作曲

ドゥルシネア姫に想いを寄せるドンキホーテ
    〜Don Quichotte à Dulcinée

1.Chanson romanesque  空想的な歌
2.Chanson épique  叙事的な歌
3.Chanson à boire  酒の歌



5. F.ショパン:作曲

マズルカ ヘ長調 Op.68-4
    〜Mazurka, f moll Op. 68-4



6. 谷 篤:編曲

1.からたちの花  (北原 白秋・詩/山田 山田 耕筰・曲 )
2.曼珠沙華  (北原 白秋・詩/山田 山田 耕筰・曲 )
3.この道  (北原 白秋・詩/山田 山田 耕筰・曲 )
4.スカボローフェアー〜Scarborough Fair (English traditional Ballad)
5.アニーローリー〜Annie Laurie (William Douglas/ Lady John Douglas Scott)
5.春の日の花と輝く〜Believe me, if all those endearing young charm (Thomas Moore / Irish Air)



ひとときの歌 第17回〜伝承と創造
2017年10月
1日(日)   14:00開演 (13:30開場) 三重県総合文化センター 第1リハーサル室(津公演)
15日(日)14:00開演 (13:30開場)JTアートホール アフィニス(東京公演)
22日(日)14:00開演 (13:30開場)あばしりエコーセンター2000 エコーホール(網走公演)
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催・予約・問合せ:このいち芸術舎

歌曲をもっと身近に、気楽に、存分に・・・・。歌曲の素晴らしさを多くの人に味わって頂きたいという思いからこのシリーズを始めました。
まず日本語訳詩を朗読し、詩の世界を味わって頂きます。朗読は単に言葉の意味を音声で伝えることではなく、言葉の背景やそこに潜む深い心理までをも伝え得る表現です。そこに音楽のインスピレーションをも加味ながら詩を朗読し 、続いて歌曲として聴いて頂きます。
津公演と網走公演に先立って、それぞれレクチャーが予定されています。
 
  今回は「伝承と創造」をテーマに、三つの視点+αから選曲したプログラムです。
 一つ目は、民謡を素材とした歌曲。ラヴェル作曲「二つのヘブライの歌」。ヘブライの旋律とアラム語ユダヤ典礼をもとにした「カディッシュ」と、ユダヤ民謡をもとにした「永遠の謎」の2曲です。「カディッシュ」は、ユダヤ的気質を感じさせる表現があまりに見事な作品で、「ラヴェルはユダヤ人だ」という噂が広まった程です。「永遠の謎」は、禅問答のような歌詞に相応しい、極めて瞑想的雰囲気を持った音楽です。民族的異国情緒を音楽で表現するラヴェルの天才性が遺憾なく発揮された作品です。そして間宮芳生作曲「日本民謡集」。日本にはもう、民謡が本来の機能や精神性を保てる社会や生活は無くなりました。「日本民謡集」は、その残照がまだ確かに息づいていた中で、作曲者の言葉を借りれば「その民俗伝承の本質をピアノパートに照射し、固有な歌の個性を音楽として普遍化すること」を目指した歌曲作品です。それは当然芸術的創作ですが、「私流の民謡の伝承である」と間宮さんは述べられています。十数頭の牛を一人で追う(移動させる)牛方が歌う岩手県「南部牛追唄」、雅な趣を持った富山県五箇山の古い神楽唄「まいまい」、朝飯前に歌われた富山県「田植唄」、陽気で軽やかな長崎県の仕事唄「米搗まだら」、民謡には数少ないラヴソングである鹿児島県「ちらん節」。
 二つ目は、古い時代の詩を現代の音楽で再創造した作品。ドビュッシー作曲「フランソワ・ヴィヨンの三つのバラード」。ヴィヨンは15世紀フランスに生きた中世を代表する詩人で、近代詩の扉を開けた詩人と言われています。「ヴィヨンが恋人に捧ぐバラード」は、無情な恋人に切々と苦悩を訴える歌で、鋭く二度下降するピアノの音型が慟哭のごとく響き、朗唱風メロディーは、韻律と詩の気分を見事に表現をしています。「ノートルダムで母の祈りのためにヴィヨンが作りしバラード」は、文盲の母に代わり、聖母マリアへの慎ましい庶民の祈りを綴ったもので、その中世的な敬虔な趣を感じさせる音楽は、ドビュッシーの作品の中でも最も印象深いものと言えます。「パリ女のバラード」はプーランクを先取りしたかのような音楽で、ユーモア溢れる快活なフランス気質を生き生きと描き出しています。詩はかつて歌われるものでした。ヴィヨンが生きた中世という時代の気分を新しい音楽語法で見事に表現したこの歌曲は、単なる懐古趣味的な再現ではなく、伝承と創造が豊かに結実したものと言えるでしょう。
 三つ目は、私が演奏者として見つめる伝承と創造です。私自身が歌い継いでいきたい、そうして演奏が創造的行為であることを深く感じさせてくれる作品として、林光さんが作曲した歌を歌います。私にとって林さんは、表現者としての行先を照らし示してくれる存在です。残して下さった沢山の歌から、鮮烈な光で私の心を照らしてくれる歌たちを歌います。
 そして天才の業とはほど遠いものですが、私が編曲したブリテン諸島の民謡を歌います。どの歌も理屈抜きに美しい旋律で、その魅力を素直に味わいたいと願って編曲しました。また、「ロンドンデリーの歌」と「柳の庭」は私の日本語訳詩で歌いたいと思います。原語による歌は、いつものように日本語訳詩を朗読してから歌います。詩と音楽、両方を存分に味わって頂きたいと思います。皆様のご来場を心よりお待ちしております。
 デザイン:谷 篤
  

 

1. M.ラヴェル:作曲

二つのヘブライの歌
    〜Deux mélodies hébraïques
1. Kaddish  カディッシュ
2. L'Enigme Eternelle  永遠の謎


2. C.ドビュッシー:作曲

フランソワ・ヴィヨンの三つのバラード
  〜Trois Ballades de Francois Villon


3. 間宮 芳生:作曲「日本民謡集」より

1.杓子売唄
2.南部牛追唄
3.まいまい
4.田植唄
5.米搗まだら
6.ちらん節

4. 林 光:作曲

1.四つの夕暮れの歌
2.宮古の子守歌 
3.うた 
4.すきとほつてゆれてゐるのは 
5.やさしかったひとに 
6.林の光


5. ブリテン諸島の民謡(谷 篤 編曲)

1.王妃ジェーンの死〜The death of Queen Jean
2.グリーンスリーヴス〜Greensleves
3.広き流れ〜The Water Is Wide
4.柳の庭〜The Sallygardehs
5.私が林檎の花なら(ロンドンデリーの歌)〜Londonderry Air


ひとときの歌 第16回〜美しき水車屋の娘
2016年
7月18日(月祝) 14:00開演 (13:30開場) 三重県総合文化センター 第1リハーサル室(津公演)
7月31日(日)  14:00開演 (13:30開場)JTアートホール アフィニス(東京公演)
8月11日(木祝) 14:00開演 (13:30開場)あばしりエコーセンター2000 エコーホール(網走公演)
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催・問合せ:このいち芸術舎

歌曲をもっと身近に、気楽に、存分に・・・・。歌曲の素晴らしさを多くの人に味わって頂きたいという思いからこのシリーズを始めました。
まず日本語訳詩を朗読し、詩の世界を味わって頂きます。朗読は単に言葉の意味を音声で伝えることではなく、言葉の背景やそこに潜む深い心理までをも伝え得る表現です。そこに音楽のインスピレーションをも加味ながら詩を朗読し 、続いて歌曲として聴いて頂きます。
津公演と網走公演に先立って、それぞれレクチャーが予定されています。
 
美しき水車屋の娘 心のオアシス〜その牧歌的世界
 「美しき水車屋の娘」は1823年、フランツ・シューベルト26才の時に作曲されます。詩はヴィルヘルム・ミュラー。シューベルトと同世代の詩人です。
 水車屋とは、水車で石臼を回し、製粉する職人のことです。粉挽き職人を志す者は、まずどこかの製粉所に弟子入りし、そこで修業を積むと、更に別の仕事場に移って腕を磨き、一人前になっていきます。物語の主人公は、粉挽き職人の見習い。この作品は、一つ修業を終え、新たな場を求め「さすらい」の旅に出るところから始まる粉挽き職人の恋物語です。
 詩人と作曲家が生きた時代は、産業革命の発展期と重なります。動力は水車から蒸気機関へと転換され、職人制度が息づく牧歌的時代は終焉へと向かいます。近代へ移行するこの劇的な転換によって、社会はかつてない不安や矛盾に覆われ、若者は未来への展望を持つことが難しくなっていきます。中でも繊細な精神の持ち主たちは、心の拠り所を求めて精神的放浪(さすらい)へと向かうようになります。その一つの行く先が牧歌的時代への回帰なのです。「美しき水車屋の娘」は、まさにそのような時代の機運を反映した作品と言えるでしょう。音楽は詩情に光を与え、その陰影を見事に映し出します。愛ゆえの喜び、苦しみ、官能、怖れといった感情が、牧歌的舞台を背景に沁沁と描かれてゆきます。それは、社会がさらに複雑に進化し、人の温もりが感じにくくなってしまった現代に生きる我々にとっても、精神的オアシスであると言えるでしょう。社会の在り方がどんなに変化しても、人を愛するという人間の根源的感情は変わることはありません。この作品は、我々が便利さと引き換えに失ってしまった大切なものを思いださせてくれるように、私には思えます。私たちはもう、『せせらぎを聞いて、それは妖精が歌っているのだ』と信じられる心と美しい小川を、失ってしまったのですから。
 20曲からなるこの歌曲集を存分に味わって頂くために、日本語訳詩朗読を挟んでゆきます。朗読は単に歌詞の意味を辿ることに留まらず、詩情を浮き彫りにし、シューベルトの音楽を鮮やかに映し出す案内人としての役割を果たします。
 物語と音楽のひととき、みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

 デザイン:谷 篤
  


1. さすらい Das Wandern
2. どこへ?  Wohin?
3. 止まれ!  Halt!
4. 小川への感謝  Danksagung an den Bach
5. 仕事終わりの夕べ  Am Feierabend
6. 知りたがり  Der Neugierige
7. いらだち  Ungeduld
8. 朝の挨拶  Morgengruss
9. 粉挽きの花  Des Mu¨llers Blumen
10. 涙の雨  Tra¨nenregen
11. 私のもの!  Mein!
12. ひと休み  Pause
13. 緑のリュートのリボンで  Mit dem gru¨nen Lautenbande
14. 狩人  Der Ja¨ger
15. 嫉妬と怒り  Eifersucht und Stolz
16. 好きな色  Die liebe Farbe
17. よこしまな色  Die bo¨se Farbe
18. 枯れた花  Trockne Blumen
19. 粉挽きと小川  Der Mu¨ller und der Bach
20. 小川の子守歌  Des Baches Wiegenlied

ひとときの歌 第15回〜白鳥の歌
2015年10月
3日(土)   14:00開演 (13:30開場) 三重県総合文化センター 第1リハーサル室(津公演)
18日(土)14:00開演 (13:30開場)JTアートホール アフィニス(東京公演)
24日(土)14:00開演 (13:30開場)あばしりエコーセンター2000 エコーホール(網走公演)
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催・問合せ:このいち芸術舎

歌曲をもっと身近に、気楽に、存分に・・・・。歌曲の素晴らしさを多くの人に味わって頂きたいという思いからこのシリーズを始めました。
まず日本語訳詩を朗読し、詩の世界を味わって頂きます。朗読は単に言葉の意味を音声で伝えることではなく、言葉の背景やそこに潜む深い心理までをも伝え得る表現です。そこに音楽のインスピレーションをも加味ながら詩を朗読し 、続いて歌曲として聴いて頂きます。
津公演と網走公演に先立って、それぞれレクチャーが予定されています。
 
 歌曲集『白鳥の歌』は、シューベルトの死後、出版者が遺作をまとめ、「白鳥は死ぬ前に最も美しい声で歌う」という伝説にちなんで名付け、出版したものです。3人の詩人、レルシュタープ7曲、ハイネ6曲、ザイドル1曲の歌曲からなります。
 今回はそれに、レルシュタープ「秋」、ザイドル「戸外にて」「さすらい人が月に寄せて」「窓辺で」「あなたのそばにいるだけで」「臨終を告げる鐘」を加え、一味違う『白鳥の歌』をお楽しみ頂きたいと思います。                                  
 デザイン:谷 篤
津公演
東京公演
網走公演

レルシュタープの詩による8つの歌曲

1. Liebesbotschaft  愛の使者
2. Kriegers Ahnung  兵士の予感
3. Frühlingssehnsucht  春の憧れ 
4. Herbst D 945  秋
5. Ständchen  セレナーデ
6. Aufenthalt  住処
7. In der Ferne  遠い土地で
8. Abschied  別れ

ハイネの詩による6つの歌曲

1. Der Atlas  アトラス
2. Ihr Bild  彼女の肖像
3. Das Fischermädchen  漁師の娘
4. Die Stadt  街
5. Am Meer   海辺にて
6. Der Doppelgänger   影法師

ザイドルの詩による6つの歌曲

1. Der Wanderer an den Mond D 870   さすらい人が月に寄せて
2. Am Fenster D 878    窓辺にて
3. Bei dir allein D 866-2   君のそばにいるだけで
4. Im Freien D 880  戸外にて
5. Das Zügenglöcklein D 871   弔いの鐘
6. Die Taubenpost   鳩の使い

 

ひとときの歌 第14回〜光を愛した作曲家
2014年 9月10日(水)  18:30開演 (18:00開場) 自由学園 明日館 講堂
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催・予約・問合せ:このいち芸術舎

光(クラーラ)を愛した作曲家、R.シューマンの、歌の年から晩年までの名歌を集め、
その神髄を味わうコンサート
 1840年、ロバート・シューマンは突然歌曲を作曲し始める。何が彼を歌曲創作へと向かわせたのだろう。この年にロバートとクラーラは結婚する。クラーラの父でありロバートのピアノの師であるヴィークの猛反対と妨害を乗り越え、晴れて結ばれたのである。幼少よりピアニストとして名高いクラーラと、作曲家として評論家として才能を示したロバート。互いを認めあう二人の愛情と音楽、そして立ちはだかる苦難と、愛の勝利。これらが、シューマンを歌曲創作へと向かわせる大きな要因となったことは確かであろう。シューマンの歌曲の根底にはクラーラへの愛が流れているのである。
 曲目は、孤独、憧憬、未知、幻覚、夢、幻想が織りなす12のロマンティシズムの結晶、アイヒェンドルフの詩による『リーダークライス』。シューマンの心に深い共鳴を呼び起こし、繊細で傷つきやすい精神に寄り添い、憧れと諦め、慰めを歌った名作、ケルナーの詩による『12の詩』。そしてピアノ曲『森の情景』とともに朗読するために私が作詩した『シューマンの情景』。
 二人の愛情の結晶とも呼ぶべき歌曲と、私がシューマンへの尊敬と憧憬から紡いだ詩集によるコンサートです。日本語訳詩の朗読を交え、シューマンの音楽の神髄を堪能して頂きたいと思っております。                                          
 デザイン:谷 篤

リーダークライス Op.39(アイヒェンドルフ・詩)

シューマンの情景  谷 篤・詩
〜森の情景 Op.82によせて

12の詩 Op.35(ケルナー・詩)

シューマンの情景  谷 篤・詩 〜森の情景 Op.82によせて
 揚原さんの依頼で2009年に作詩、初めての再演となります。作詩にあたっては、シューマンによって付されたヘッベルの詩によるモットーを手がかりに、「現代の競争社会に蔓延する人間不信」をテーマとして盛り込み、「光と闇」という相対するものが、「愛」によってその調和が保たれることを描きました。クラーラという名前には「光り輝く」という意味があり、クラーラへの愛を重ね合わせることで、シューマンの心象風景を描き出したいと考えました。そのためにシューマンがクラーラに宛てた手紙や彼が作曲した歌曲のテキストから様々なモチーフを選び出しました。

作詩ノートから
・社会の競争から逃れ、救いを求め森へとやってくる。
・競争を避けるものを許さない社会は待ち伏せる。
・森の中にも孤独な存在が。
・人間の血から芽吹いた花。
・森は慰めに満ちている。美しい響き、木々、泉、鳥。
・希望の旋律、遙かな響き、心の旅籠屋。森の彼方にそびえる峰、天空への憧れ。
・指輪は愛の証。身投げの予感。思い出す愛の光。
・勝者の歌。負けるものがいる。狩るものと狩られるもの。
・森と一体になる。愛を失うこと。森と別れ、愛故に人であり続ける。
・光と闇、クラーラ、互いに補完しあうもの。愛が調和を保つ。
・「Clara」は「光輝く人」という意味。
<作詩に引用したモチーフ>

・「予言の鳥」に用意されていたモットー “Hüte dich, bleib wach und munter!,”「気をつけろ、眠らずに見張っているのだ!」の引用。これは、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩「たそがれ」の最終行。
シューマンは1840年に、この詩全部に作曲している。Op.39−10 [Zwielicht]。“Hüte dich, sei wach und munter!”(シューマンによって歌詞が一部変更されている。)

・シューマンがクラーラに宛てた手紙(1833年5月22日)より。
「また僕は、日ざしがまるで音と戯れているみたいに鍵盤の上を飛び回っているのを見るのが好きです。だって音も響く光にほかならにのですから。」

・シューマンがクラーラに宛てた手紙(1840年3月14日)より。
「・・・はじめてのくちづけのあとはどうだった、クラーラ。僕はこんなふうに言いたい。/ジャスミンの茂みは青々として/夕べの時が来ると眠りについた/朝のそよ風とともに/日ざしに照らされると/ジャスミンは目覚めて色白の顔をあげた/『夜になにがあったのかしら』/ごらん、春に夢見る木々は/こんなふうだよ/歌を作るときは、いつも僕たちの初めてのくちづけが思い浮かぶ。」

・シューマンがクラーラに捧げた詩(1838年)より。
「月桂冠が この女流芸術家には/よく似合う/ミルテの花冠が この娘には/よく似合う/われには すばらしい花嫁あり/その目を見しものは/婦女の貞節を信ずるなり」
ミルテは和名を銀梅花といい、その花言葉は「愛」。西洋では、花嫁のブーケによくミルテが使われる。

・無言歌(Lieder ohne Worte)。メンデルスゾーンを暗示している。シューマンとメンデルスゾーンは、同時代に生き、その才能を互いに認めあう仲であった。特にシューマンは、音楽家として社会で成功を収めているメンデルスゾーンに、憧れと尊敬の念を抱いていた。

・シューマンがクラーラに宛てた手紙(1839年4月7日)より。
「僕には何か予感があった。その間、僕に同じイメージが何度も繰り返し現れた。それは、誰かが本当に憂鬱そうに、ああ神様と言ってため気をつくシーンなのだ。作曲している間、僕にはいつも葬列や、棺桶や、不幸な絶望した人々の情景が見えた。作曲が終わり、長いこと曲の題名を探していたとき、何度も死者の即興曲という題が頭に浮かんできた。奇妙なことだ。作曲しているときは、本当にとても疲れて、なぜか理由もなく涙が出てくることがよくあった。」

・シューマンがクラーラに宛てた手紙(1837年11月28日)より。
「ぼくは夢を見た。ぼくは深い川の畔を歩いていた。そのときふとした思いつきで、指輪を川に投げ込んだ。するとその後を追ってたまらなく川に飛び込みたい気持ちになった。」
1854年2月27日にシューマンは実際にライン河に身投げする。が、この手紙は未来の予言というよりは、クラーラとの結婚を強く望む気持ちから湧き出た一つのイメージと見るべきであろう。ただ後に発見されたメモによると、このイメージ通り、指輪を先にライン河に投げ込み、その後を追って投身したようである。シューマンはクラーラも同じように行動すると思っていたらしい。

・シューマンがクラーラに宛てた手紙(1840年2月7日)より引用。
 

谷篤リサイタル2014〜光を愛した作曲家2
2014年 8月30日(日)  19:00開演 (18:30開場) 北見芸術文化ホール・音楽ホール
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催:きょうの音楽を考える会

光(クラーラ)を愛した作曲家、R.シューマンの、歌の年から晩年までの名歌を集め、
その神髄を味わう、二夜のコンサート〜第2夜

「ひとときの歌 第14回〜光を愛した作曲家」の北見公演
 デザイン:谷 篤

リーダークライス Op.39(アイヒェンドルフ・詩)

シューマンの情景  谷 篤・詩
〜森の情景 Op.82によせて

12の詩 Op.35(ケルナー・詩)



谷篤リサイタル2014〜光を愛した作曲家 1
2014年 5月11日(日)  19:00開演 (18:30開場) 北見芸術文化ホール・音楽ホール 
谷 篤・バリトン&朗読 / 竹村 浄子・ピアノ
主催:きょうの音楽を考える会 

光(クラーラ)を愛した作曲家、R.シューマンの、歌の年から晩年までの名歌を集め、
その神髄を味わう、二夜のコンサート〜第1夜
 1840年、ロベルト・シューマンは突然歌曲を作曲し始める。何が彼を歌曲創作へと向かわせたのだろう。この年にロベルトとクラーラは結婚する。クラーラの父でありロベルトのピアノの師であるヴィークの猛反対と妨害を乗り越え、晴れて結ばれたのである。幼少よりピアニストとして名高いクラーラと作曲家として文筆家として天才を示したロベルト。互いの才能を認めあう二人の愛情と音楽、そして立ちはだかる苦難と愛の勝利。これらが、シューマンを歌曲創作へと向かわせる要因となったことは確かであろう。
 結婚前夜、花嫁クラーラのピアノの上には1冊の歌曲集が置かれていた。それは『ミルテの花』。このタイトルはロベルトが名付けたもので、ミルテは花嫁を象徴する。その第1曲「献呈」の前奏は「ド♭ミ・・」で始まる。ドの音名はC、♭ミはドイツ音名でEs(エス=S)。つまりクラーラ・シューマン(Clara Schumann)のイニシャルである。
 第1回は、『ミルテの花』より。ハイネの愛の追憶をシューマンが再構成し、名付けた『詩人の恋』。晩年の名作『私の薔薇』他。第2回(8月30日)は、感動をもって作曲したとシューマンがクラーラに手紙で伝えているアイヒェンドルフの詩による『リーダークライス』。その繊細な詩情がシューマンの精神と深く共鳴した名作、ケルナーの詩による『12の詩』。そしてピアノ曲『森の情景』とともに朗読するために私が作詩した『シューマンの情景』。
 二人の愛情の結晶とも呼ぶべき歌曲の数々と、私がシューマンへの尊敬と憧憬から紡いだ詩集による、二夜のコンサートです。日本語訳詩の朗読を交え、シューマンの歌曲の神髄を堪能して頂きたいと思っております。                                  
 デザイン:谷 篤

<Myrten ミルテの花 Op25 > より
1.Widmung 献呈
3.Der Nusbaum くるみの木
7.Die Lotusblume 蓮の花
15.Mein Herz ist schwer 我が心は重い
16.Rätsel なぞなぞ
21.Was will die einsame Träne 何を望むこの孤独の涙
22.Niemand 誰も
24.Du bist wie eine Blume 君は花のよう
25.Aus den östlichen Rosen 東方の薔薇より
26.Zum Schluß 終わりに


Schöne Wiege meiner Leiden 我が苦悩の美しき揺かご Op.24-5
Mit Myrten und Rosen,lieblich und hold 愛らしく優しいミルテとバラで Op.24-9
Der Sandmann 砂男 Op.79-13
Er ist's それはやってきた Op.79-24
Schneeglöckchen Op.79-27
Meine Rose Op.90-2
Requiem レクイエム Op.90-7


<Dichterliebe 詩人の恋 Op.48> 全曲



ひとときの歌 第13回 in 北見(新プログラム)
2013年 8月31日(日)  19:00開演 (18:30開場) 北見芸術文化ホール・音楽ホール
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催:きょうの音楽を考える会 
ベートーヴェン その愛と希望
   〜不滅の恋人、遥かな恋人〜   
2012年6月の東京公演をもとに、不滅の恋人<アントーニア ブレンターノ>を巡る作品を中心にあたらなプログラムで。
「不滅の恋人」アントーニアとの愛。歓喜と苦悩から友愛と尊敬に昇華される崇高なる精神。その軌跡を歌とピアノで辿る。
愛に歓喜苦悩するベートーヴェンの人間味溢れる姿を音楽でつづる一夜。
 不滅の恋人〜遥かな恋人
 ベートーヴェンの死後、机の中から発見された謎の手紙、そこには「不滅の恋人」という呼びかけで、切々たる想いが綴られていました。その相手は、第三者に悟られないよう周到に伏せられていて、これまで様々な説がありましたが、近年研究が進み、1810年から交友のあったアントーニア・ブレンターノだとされています。既に家庭のあったアントーニアとの恋は、実らずに終わります。しかしその愛は互いの友愛と尊敬へと高められ、最後の3つのピアノソナタに代表される晩年の傑作群へと結実するのです。愛の歓喜と苦悩から友愛と尊敬へと至る時間の中で、彼はいくつかの歌曲を作曲しました。1811年、アントーニアに捧げられた愛の歌 『恋人に』。1814年、愛の追憶を懐かしむ友愛と感謝が感じられる『メルケンシュタイン』。離別の後、病や経済的困窮による精神的苦悩の極限にいたベートーヴェンのもとにアントーニアから小切手が届きます。それによって生まれた新たな心情を、まるで歌曲に代弁させているかのようです。そして愛が再燃した1817年の名作『遥かな恋人に』。遠く離れていてもなお誠実に愛を捧げる真摯な心が歌われ、音楽にはアントーニアへと繋がる響きが隠されています。しかし、終には諦めざるを得なかったその愛。それを象徴するような1817年作の『どちらにしても』。そして聴くもの魂を揺さぶる傑作『あきらめ』。ブレンターノ夫妻とは、その後生涯にわたり、尊敬と友愛に満ちた交友が続いてゆきます。そんな愛の昇華を経て、ベートーヴェンは最晩年の円熟期へと至るのです。最後の3つのピアノソナタは、いずれもアントーニアへの愛が根底に流れており、その音楽は、30番「幸福の追憶」、31番「喪失の苦悩」、32番「自己克服と浄化」と表現出来るでしょう。1820年作の『ピアノソナタ第30番 Op.109』は、アントーニアの娘マクセに献呈されていますが、それは「幸せな愛の追憶」を娘を通して感じているのでしょう。音楽は、懐かさに満ちた郷愁のメロディーで始まり、『遥かな恋人』の旋律を忍ばせ、魂に沁み入る追憶の調べのうちに終わります。それは紛れもないアントーニアへの想いから紡がれた音楽なのです。

 「ひとときの歌」シリーズ 〜 歌曲に先立ち、日本語の訳詩を朗読します。朗読とは、単に言葉の意味を伝えることに留まらず、言葉の奥底に潜む深い精神をも声として表現することです。そこに音楽のインスピレーションを加味し、詩の世界を膨らませ、その上で歌曲を味わって頂きます。

優しき愛 /Zärtliche Liebe (Ich liebe dich) WoO 123
 Karl Friedrich Wilhelm Herrosee 1797年 26歳
 原題は"Zärtliche Liebe"だが、歌い出しの歌詞"Ich liebe dich"と呼ばれることが多い。喜びも悲しみも二人で分かち合う、至福の愛の歌。

想い /Andenken WoO 136
 Friedrich von Matthisson 1809年 38歳
 素朴な愛の抒情歌。

くちづけ /Der Kuss Op.128
 Christian Felix Weisse 1789年習作(1822年出版のため加筆) 18歳
 少々不道徳だが、ユーモアに満ちた軽妙なアリエッタ。

新しき愛、新しき人生 /Neue Liebe, neues Leben Op.75-2
 Johann Wolfgang von Goethe 1809年 38歳
 新しい愛が人生を変えてしまい、愛らしい少女の魅力の虜となってしまったことに,戸惑いながらも歓喜している。

悲しみの喜び /Wonne der Wehmut Op.83-1
 Johann Wolfgang von Goethe 1810年春 39歳
 この曲についてのロマンロランの言葉。「ゲーテの悲しみの気高い簡潔さは、覆いの中に包まれている。ベートヴェンの音楽はその覆いをひらき、心の嗚咽をもらす・・・。愛したり悩んだりしたことのある心で、そのことについてベートーヴェンに感謝しないものはないだろう。」

あこがれ /Sehnsucht Op.83-2
 Johann Wolfgang von Goethe 1810年春 39歳
 彼方へと心は誘われ、鳥となって愛しい人に歌いかけ、星となって空に輝く。あこがれは恋人のもとへと私を誘う。

彩られたリボンで /Mit einem gemalten Band Op.83-3
 Johann Wolfgang von Goethe 1810年夏 39歳
 春の神々が私のリボンに花びらをまき散らす。西風にリボンを彼女のところまで運ばせ、その花のリボンで彼女を飾る。それは私と彼女を結びつける絆となる。

アデライーデ /Adelaide Op.46
 Friedrich von Matthisson 1795〜96年 24〜25歳
 ウィーンに移住して間もない頃の作曲。アデライーデという女性への熱烈な愛の歌。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜

恋人に/An die Geliebte WoO 140
 Joseph Stoll Ludwig 1811年 40歳
 アントーニアの自筆で「請われた作者から私に」と書き込みがある。つまり彼女がベートーヴェンに頼んで、自分に献呈してもらったということである。伴奏に「ピアノまたはギターで」という指示があり、ギターをこよなく愛したアントーニアにあてて書かれたと言っていいだろう。異なった伴奏の別ヴァージョンが出版されているが、この伴奏によるものは長く公にされていなかった。

ラウラに寄せて /An Laura   WoO 112
 Friedrich von Matthisson 1790年 19歳
 天の祝福を受けた、無垢で気高い女性ラウラへの讃歌。

メルケンシュタイン /Merkenstein WoO 144
 Johann Baptist Rubbrecht 1814年 44歳 
 愛が破綻した後、経済的、精神的困窮の極限にいたベートーヴェンのもとにアントーニアから小切手が届き、交友が再開する。過去を懐かしむかのような友愛に満ちた作品。二年後の日記に作曲日時と曲名が記されている。この頃作曲されたものとしては異例。その動機は不明だが、彼にとって、意味ある作品であったと言えるだろう。

嘆き /Klage WoO 113
 Ludwig Heinrich Christoph Hölty 1790年 19歳
 少年時代に優しく微笑みかけてくれた月は、青年となった自分を冷たく照らす。やがてその銀の光は私の墓を照らすだろうと、死を予感する。

どちらにしても /So oder So WoO 148
 Carl Lappe 1817年 46歳
 初稿にアントーニアへの献辞が自筆で書き込まれている。再会の後、やはり終焉へと向かわざるをえない二人。アントーニアに対するベートーヴェンの想いを代弁するかのような作品。

希望に寄せて /An die Hoffnung Op.32
 Christoph August Tiedge 1805年3月 34歳
 希望は、耐え忍ぶ者を慰め、悲しみの闇に沈む者に寄り添い、嘆きのうちに最期を迎える者に輝きを指し示す。この詩はベートーヴェンにとっての「希望」を代弁するものだったのかもしれない。1813年にこの詩による第2作を作曲している。

あきらめ /Resignation WoO 149
 Paul von Haugwitz 1816〜17年 45〜46歳
 「1817年はベートーヴェンの生涯における「深淵の底」であり、その極度な精神的沈滞と絶望を反映する、いわゆる遺書とも言うべき表現。」とロマンロランは表している。空気を失ってゆく炎にたとえ、あきらめと自己解放を説く。ベートーヴェンにとって現実を受け入れ、あきらめることは、新たな創造への第一歩だったのかもしれない。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜

ピアノソナタ第30番 ホ長調 作品109
 /Klaviersonate Nr.30 E-dur Op.109
 1820年 50歳  叙情性と深い精神性に満ちた作品である。
 マクシミリアーネ・ブレンターノ(アントーニアの娘)に献呈。
第1楽章 Vivace,ma non troppo - Adagio espressivo - Tempo I ホ長調
 ソナタ形式。拍子、速度とも異なる二つの主題が用いられている。軽やかに流れゆく第1主題と、重厚な響きの第2主題が軸となり、幻想的な音楽が広がる。
第2楽章 Prestissimo ホ短調  
  ソナタ形式。前の楽章から切れ目なく演奏される。決然として、荒々しいエネルギーに満ち、第1楽章とは対照的なものとなっている。
第3楽章 Gesangvoll,mit innigster Empfindung
     Andante molto cantabile ed espressivo ホ長調
 変奏曲形式。この作品の中核ともいうべき充実した内容を持つ。主題と六つの変奏からなる。さまざまな技法を用いて性格の異なる変奏がなされてゆき、最後に主題が再現される。“歌うように、心のそこからの感動をもって”とドイツ語で記されている主題は、安らかで、祈りのように美しい音楽である。主題後半の旋律は、本日、次に演奏する『遥かな恋人に』のなかの旋律であり、“ein liebend Herz erreichet was ein liebent Herz geweiht!”(愛する心は、愛を捧げるものへと行き着くのだ)と歌われるところである。この旋律をささやかに忍ばせたベートーヴェンの心中が想われる。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜

遥かな恋人に /An die ferne Geliebte Op.98
 Alois Jeitteles 1816年4月 45歳
 6曲からななる連作歌曲。全曲は切れ目なく作曲されている。中期の「傑作の森」の時期と後期との狭間の、作品数の少ないスランプとも言える過渡期に作曲された。詩人のヤイテレスは医学生。ベートーヴェンが彼の行う戦争負傷者慈善活動を支援したことへの返礼として、詩人から贈られた。
 愛する人から遠く離れ、遥かな山や森に想いを馳せ、雲や小鳥や小川や西風に愛を託す。五月に戻るツバメに愛を夢見、そしてこの愛の歌の前では、二人を隔てる全てのものは消えさり、愛する心は愛を捧げた人のもとへ届くと、高らかに歌い上げる。                     

 


ひとときの歌 第13回  2012年 6月3日(日)  
17:30開演 (17:10開場) スコットホール(早稲田奉仕園)
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催:このいち芸術舎 
ベートーヴェン その愛と希望〜歌曲とピアノソナタ
 ベートーヴェンはその生涯にわたって、歌曲を作曲しています。それは、シンフォニーやピアノソナタと比べるとささやかな形式の音楽ではありますが、それ故に、かえって彼の心情が親しく感じられるようにも思えます。ベートーヴェンは実に恋多き人でした。幾人もの女性に情熱的な愛情を抱き、捧げました。しかしどの愛も最終的に報われることはなく、生涯独身を通しました。ベートーヴェンというと、聴覚を失ってゆくという堪え難い苦痛や経済的困窮に立ち向かい、崇高な理念と強靭な精神力を持って自らを高め、作曲を続けた偉大な天才という印象が強いですが、歌曲は、愛に歓喜苦悩する人間味ある姿を感じさせてくれるように思います。
 今回は歌曲に加え、「愛と希望」というテーマから、ピアノソナタの集大成である最後期のソナタ「第31番 作品110」をプログラムに入れました。深い抒情性と「歌」を感じさせてくれるこの作品は、当時親密な関係にあったアントーニア・ブレンターノに捧げられる予定だったといわれています。彼女は、彼が遺した「不滅の恋人への手紙」の相手と推測される女性です。この頃はもうほとんど聴覚が失われ、生活や健康においても苦しい状況にあったベートーヴェン。最終楽章の“嘆きの歌”と題された音楽は、苦悩と諦めに満ち、息絶えるかと思われるほどです。しかしそこから再び立ち上がり、希望の光を見出してゆく音楽は、彼の祈り、そして崇高なまでの精神を感じさせてくれます。
 歌曲に先立ち、日本語の訳詩を朗読します。朗読とは、単に言葉の意味を伝えることに留まらず、言葉の奥底に潜む深い精神をも声として表現することです。そこに音楽のインスピレーションを加味し、詩の世界を膨らませ、その上で歌曲を味わって頂きます。

 ベートーヴェン
 1770年12月16日、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ)のボンに生まれる。一家は、ボンのケルン選帝侯宮廷歌手(楽長)であった祖父ルートヴィッヒによって生計を立てていた。父も宮廷歌手であったが、無類の酒好きで、祖父の死(1773年)とともに生活は困窮した。4歳の頃より父によってその才能を見出され、虐待との区別が難しいほどのスパルタ教育を受け、一時は音楽そのものを嫌悪するほどになってしまった。7歳で演奏会に出演、11歳より当時ボンで活躍していた音楽家ネーフェに作曲を師事。
 16歳でウィーンへ旅立つ。モーツァルトに弟子入りを申し入れ、その才能を認められたが、母の病状悪化の報せを受け、ボンに戻る。母は間もなく死亡し、その後はアルコール依存症の父に代わり家計を支え、幼い弟たちと父の世話に追われる苦悩の日々を過ごした。1972年ハイドンに才能を認められ、弟子入りを許された。同年11月ウィーンに移住(12月父死去)、ピアノ即興演奏のヴィルトーゾ(名手)として名声を博した。
 20歳代後半頃より持病の難聴が悪化し、26歳頃には一時的に失聴状態となる。1802年(32歳)、「ハイリゲンシュタットの遺書」を記すが、強靭な精神力で苦悩を乗り越え、新しい芸術の道へと進んでゆく。
 1804年、交響曲第3番を始めとして、その後10年間に中期の代表作が作曲され、ロマンロランの言葉を借りれば「傑作の森」と呼ばれる時期となる。
 40代になると難聴が次第に悪化し、晩年の10年ほどはほぼ聞こえない状態にまで陥った。また持病である神経性の腹痛や下痢にも苦しみ、生活面では後見人として、甥カールの非行や自殺未遂に苦悩する日々が続き、作曲も滞ることがあった。そうした状況下で作曲された交響曲第9番、ミサ・ソレムニス、ピアノソナタ、弦楽四重奏などの作品群は、未曾有の高い精神的境地を示すものである。
 1826年12月、肺炎を患い、加えて黄疸を発症。10番目の交響曲に着手するも未完のまま、翌1827年3月26日、肝硬変により、56年の生涯を終えた。葬儀は、2万人もの人々が駆けつけるという異例のものとなった。

想い /Andenken WoO 136
 Friedrich von Matthisson 1809年 38歳
 素朴な愛の抒情歌。

優しき愛 /Zärtliche Liebe (Ich liebe dich) WoO 123
 Karl Friedrich Wilhelm Herrosee 1797年 26歳
 原題は"Zärtliche Liebe"だが、歌い出しの歌詞"Ich liebe dich"と呼ばれることが多い。喜びも悲しみも二人で分かち合う、至福の愛の歌。

くちづけ /Der Kuss Op.128
 Christian Felix Weisse 1789年習作(1822年出版のため加筆) 18歳
 少々不道徳だが、ユーモアに満ちた軽妙なアリエッタ。

新しき愛、新しき人生 /Neue Liebe, neues Leben Op.75-2
 Johann Wolfgang von Goethe 1809年 38歳
 新しい愛が人生を変えてしまい、愛らしい少女の魅力の虜となってしまったことに,戸惑いながらも歓喜している。

悲しみの喜び /Wonne der Wehmut Op.83-1
 Johann Wolfgang von Goethe 1810年春 39歳
 この曲についてのロマンロランの言葉。「ゲーテの悲しみの気高い簡潔さは、覆いの中に包まれている。ベートヴェンの音楽はその覆いをひらき、心の嗚咽をもらす・・・。愛したり悩んだりしたことのある心で、そのことについてベートーヴェンに感謝しないものはないだろう。」

あこがれ /Sehnsucht Op.83-2
 Johann Wolfgang von Goethe 1810年春 39歳
 彼方へと心は誘われ、鳥となって愛しい人に歌いかけ、星となって空に輝く。あこがれは恋人のもとへと私を誘う。

彩られたリボンで /Mit einem gemalten Band Op.83-3
 Johann Wolfgang von Goethe 1810年夏 39歳
 春の神々が私のリボンに花びらをまき散らす。西風にリボンを彼女のところまで運ばせ、その花のリボンで彼女を飾る。それは私と彼女を結びつける絆となる。

アデライーデ /Adelaide Op.46
 Friedrich von Matthisson 1795〜96年 24〜25歳
 ウィーンに移住して間もない頃の作曲。アデライーデという女性への熱烈な愛の歌。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜

私を想って!/Gedenke mein! WoO 130
 1804年末 33歳
 詩人は不明。希望が別れを癒すと歌う素朴な愛の歌。

ラウラに寄せて /An Laura   WoO 112
 Friedrich von Matthisson 1790年 19歳
 天の祝福を受けた、無垢で気高い女性ラウラへの讃歌。

安らぎについての歌 /Das Liedchen von der Ruhe Op.52-3
 Hermann Wilhelm Franz Ueltzen 1795年以前 
 ボン時代の作曲。恋人の腕の中でも、大地の懐に抱かれていても安らぎはあるが、それぞれに苦悩もある。人生に疲れたものにとっては、やがて訪れる永遠の安息以外はみな同じこと。

嘆き /Klage WoO 113
 Ludwig Heinrich Christoph Hölty 1790年 19歳
 少年時代に優しく微笑みかけてくれた月は、青年となった自分を冷たく照らす。やがてその銀の光は私の墓を照らすだろうと、死を予感する。

あきらめ /Resignation WoO 149
 Paul von Haugwitz 1816〜17年 45〜46歳
 「1817年はベートーヴェンの生涯における「深淵の底」であり、その極度な精神的沈滞と絶望を反映する、いわゆる遺書とも言うべき表現。」とロマンロランは表している。空気を失ってゆく炎にたとえ、あきらめと自己解放を説く。ベートーヴェンにとって現実を受け入れ、あきらめることは、新たな創造への第一歩だったのかもしれない。

希望に寄せて /An die Hoffnung Op.32
 Christoph August Tiedge 1805年3月 34歳
 希望は、耐え忍ぶ者を慰め、悲しみの闇に沈む者に寄り添い、嘆きのうちに最期を迎える者に輝きを指し示す。この詩はベートーヴェンにとっての「希望」を代弁するものだったのかもしれない。1813年にこの詩による第2作を作曲している。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜

ピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110
 /Klaviersonate Nr.31 As-dur Op.110
 1821年一応完成 フィナレーを推敲した最終稿は22年春 51歳
第1楽章 Moderato cantabile molto espressivo 変イ長調  
 ソナタ形式。始まりにcon amabilita(優しく)と記されている。温かく優しい旋律と優美なアルペジオなどで綴られており、連続性をもって流れてゆく音楽が印象的。
第2楽章 Allegro molto ヘ短調  
  三部形式。スケルツォ的な性格を持つ。リズミックで奔放、ユーモラスであるが、なにか先を予感させるような不思議な雰囲気もある。
第3楽章 Adagio, ma non troppo−Fuga. Allegro, ma non troppo 
     変ロ短調〜変イ短調、変イ長調
 序奏の後に「嘆きの歌」と呼ばれる部分が入り、続いて三声のフーガが展開される。高まったところで再び「嘆きの歌」が途切れ途切れに歌われ、主題が転回されたフーガに入る。そしてさまざまなフーガの技法を駆使しつつ、歓喜のうちに完結する。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜

遥かな恋人に寄せて /An die ferne Geliebte Op.98
 Alois Jeitteles 1816年4月 45歳
 6曲からななる連作歌曲。全曲は切れ目なく作曲されている。中期の「傑作の森」の時期と後期との狭間の、作品数の少ないスランプとも言える過渡期に作曲された。詩人のヤイテレスは医学生。ベートーヴェンが彼の行う戦争負傷者慈善活動を支援したことへの返礼として、詩人から贈られた。
 愛する人から遠く離れ、遥かな山や森に想いを馳せ、雲や小鳥や小川や西風に愛を託す。五月に戻るツバメに愛を夢見、そしてこの愛の歌の前では、二人を隔てる全てのものは消えさり、愛する心は愛を捧げた人のもとへ届くと、高らかに歌い上げる。         



ひとときの歌 第12回  2011年 11月5日(土)  
14:30開演 (14:00開場) JTアートホール アフィニス
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催:このいち芸術舎
ひとときの歌 第12回 in 北見  2012年 9月21日(金)  
19:00開演 (16:30開場) 北見芸術文化ホール 音楽ホール
谷 篤・バリトン&朗読 / 揚原 祥子・ピアノ
主催:きょうの音楽を考える会/うたたに実行委員会
珠玉のフランス歌曲〜G.フォーレ、H.デュパルクの歌曲
 今回は、珠玉のフランス歌曲の中から、フォーレ、デュパルクの作品を歌います。同世代の二人は、フランス芸術歌曲の開花期に登場した作曲家です。フォーレは、古い教会音楽の響きを巧みに取り込み、優美な旋律を繊細で多彩な和声で彩り、19世紀ドイツリートに並び称される作品を生涯にわたり残しました。デュパルクは、その長い生涯に500曲を作曲したと伝えられていますが、37歳で神経衰弱を煩い、その大半を自ら破棄し、残された作品は40に満たないという数奇な生涯をおくった作曲家です。しかし残された17の歌曲はいずれも個性豊かで、繊細な抒情性とワーグナーを彷彿とさせる劇的な表現力を持ち、歌曲の最高傑作に数える人も少なくありません。
 朗読と歌、二つの表現を通し、ひととき、この二人の天才が残した歌曲の魅力ある世界に、皆さまをお招きしたいと思います。

〜 H.デュパルク 〜

<前世>
 壮麗な宮殿に暮らした貴族としての前世の記憶。物質的には満たされていた暮しですが、心の中には苦悩が潜んでいたのです。それは現世への予感であるかのように思えます。12音節からなる壮麗なアレクサンドラン詩行で綴られたこの詩に比して、音楽もまた壮麗でみごとな品格を持つものです。デュパルクの歌曲の中では最晩年(1884年)の作曲。といっても30代半ばです。精神的な病に苦悩したその後の長い彼の人生を考えると、最後を飾るに相応しい傑作であると同時に、彼の人生の苦悩を予言していようにも思えてきます。

<ラメント>
 白い墓、そこでは忘れられた魂が嘆きの歌を歌っているのです。それは救いを求める嘆き。随所に繰り返される下降する嘆きの旋律が印象的です。言葉は嘆きを表現するために、サ行の音を多用し、巧みに選ばれれています。

<ためいき>
 どんなに報われなくとも、ひたすら愛に誠実であることを、切々と歌ってゆきます。1小節毎に繰り返される音型は、まさにため息のようです。色調を微妙に変えながら、心情を縫い取るように移ろってゆきます。

<旅へのいざない>
 この詩は、当時ボードレールと親密な関係にあったマリー・ドーブランのために書かれたといわれています。ここに描かれている二人で暮らす夢の地は、オランダを思わせます。想像の中で実現した二人の理想郷、西洋の中の東洋、秩序と美の世界、壮麗、静寂、快楽に満たされた暮し。
 夢幻の理想郷が霧の中から浮かび上がってくるかのようなピアノの響きに誘われ、伸びやかな旋律に乗せて熱い願いが歌われてゆきます。最後に置かれたリフレインで音楽はその歩みを止め、印象的な和音の響きの中で、その理想が淡々と語るように歌われます。後半、ピアノは高音域で弧を描くようなアルペジオを奏でます。音楽はよりいっそう自由さを増し、頂点へと至る展開は見事です。アルペジオはそのまま次第に静まってゆき、夢幻の彼方へと消えてゆきます。


〜 G.フォーレ 〜

「ヴェネチアの5つの歌曲」
 1891年イタリアに滞在した際に得たインスピレーションをもとに作曲されたことから、このように名付けられました。5曲ともヴェルレーヌの詩によるもので、内容としては、ヴェネチアとの関連はありません。

<マンドリン>
 マンドリンの響きを模したピアノは絶妙な味わいです。詩が描いているのは「艶やかなる宴(Fêtes galantes)」で繰り広げられる情景。(「月の光」の解説をご参照下さい。)すべては灰色のバラ色の月の光に、恍惚として溶け込んでゆくのです。

<静けさに>
 愛に満たされ、木陰に憩う二人。やがて夕暮れが降りてくる時、ナイチンゲールが絶望を予言するごとく歌います。幸せの次に訪れるのは絶望なのでしょう。静かな満たされた和音が、そよ風のように、愛撫のように奏でられます。詩と音楽の見事な融合を感じさせてくれる名作です。

<グリーン>
 寒い朝、息せき切らせて恋人のもとにやってきた弾む心を、贈物に添えて君に捧げます。君の胸に頭をのせて転がすという官能的な描写もありますが、音楽は爽やかで、清々しい抒情を表現してゆきます。高鳴る心を模したリズムにのせ、頭を転がして甘えるような短いメロディが、ピアノで繰り返し奏でられます。最後は安心して眠りにつく、幸せに満ちた恋の歌です。

<クリメーヌに>
 クリメーヌを讃えた歌。詩の冒頭の言葉「神秘の舟歌 言葉なき恋歌」さながらの音楽は、見事としか言いようがありません。君の瞳、声、香り、すべてが心に沁み入る音楽なのです。「心優しき韻律にのせて 一つの調和の内へと誘う」そのあとには言葉は無くなってしまうのです。

<それは恍惚>
 愛の官能と気怠さ、そこに潜む嘆きを歌う慎ましい夕暮れの祈り。言葉で描かれる繊細な響きは、ピアノの一貫した律動を呼び起こし、歌曲集の最後の歌として、それまでのモチーフがちりばめられ、全体を締めくくります。


〜 G.フォーレ 〜

「幻影」 
 フォーレ74才のときに作曲。最後から2番目の歌曲集です。この作品は、歌もピアノも中音域に留まって作曲されています。自己なる内を静かに見つめるような抑制された音楽は、詩のもつ神秘的な気分を心地よく響かせ、観念的で捉えにくいこの詩の味わいを親しいものに感じさせてくれます。
 ここで描かれている幻影は、精神のうちに広がる漠とした印象の世界。それは現実とつながりながらも、現実より自由で儚く、現れてはたちまち消えてしまいます。
 音楽は、言葉が描く精神世界の漠とした気分を印象的に響かせ、むしろ淡々と表現してゆきます。しかしそこには、繊細で多様な色調が万華鏡のように移ろってゆくのです。自らの精神と親しく向かい合う心の軌跡を、静かにたどる音楽です。

<水の上の白鳥>
 冒頭の順次進行による多声的な響きの移ろいが大変美しく、白鳥が滑りゆくように16分音符が動きだすとろこは絶妙です。さりげない表現にこそ、フォーレの魅力があるのだと再認識させてくれます。続く旋律は、1フレーズ毎にすーっと高まってはゆるみ、それはまるで白鳥が、 未知なるもの求めて進んでは見失うことを繰り返すかのようです。そして、白鳥に呼びかけるところでは音楽はそれまでの歩みを止め、優しい響きの連打になり、冒頭の音楽と結びつき、穏やかな終焉へと向かいます。
「私の思いは一羽の白鳥。幻想の水上を 未知へと向かい、緩やかに滑ってゆく。危険をはらむその旅をやめ、自らの内に留まれと呼びかける 。」

<水の中の影>
 水の中、そこは青い過去の世界。音楽は水面の反映を感じさせてくれます。緩やかな響きのゆらぎが、まるで生き物のように変化してゆきます。歌は常に淡々と移ろうように言葉を綴ってゆきます。やがて冒頭の音楽に戻り、「青い過去」に呼びかけます。そして、水面に波紋が生じ、やがて消え、鏡のような静けさを取り戻すところの描写は、息をのむようです。
「冷たく澄んだ水、それは青い過去。過去をに映し出される様々なものはどれも親しく、共に旅すること夢見る。」

<夜の庭>
 南国の熱い夏の夜、静寂に包まれる庭に、水盤からしたたる水の音と風の青いそよぎだけがかすかに響いています。絶えず揺れ動くような穏やかな3拍子の音楽。エキゾチックな風物に囲まれて、官能的な愛が描かれてゆきます。詩も音楽も直情的ではありませんが、熱烈な愛の歌です。水滴の音を「夜の唇に歌う口づけ」と歌う最後は、実にさりげなく、印象的です。
「静寂なる夜の庭。したたる水音と風のそよぎだけが響く。香りと熱気に包まれ、官能に身を委ねる。」

<踊り子>
 激しく、官能的に踊り続ける踊り子。その踊りは五感に働きかけてきます。絶えず繰り返される付点のリズムが、精神を心地よく酔わせてくれます。激しく動いているのにどこか静まり返っているような、不思議な印象が残ります。まさに幻影の踊り子です。
「しなやかに、激しく踊り続ける。手足をのばし、官能は解き放たれる。」


〜 H.デュパルク 〜

<波と鐘>
 ある夢の話。夜の海、船は波に翻弄され、岸辺に辿り着く希望もなく漂い続けます。突然船底が抜けるとそこは鐘楼の中。鳴り響く鐘に必死にまたがっているという悪夢。それは人生そのものを象徴している夢なのです。人生とは、無益な仕事と永遠に続く大音響であると夢は告げています。しかもその行き着く先、その終わりについては何も語らずに。音楽は劇的にその悪夢の様を描いてゆきます。これほどまでに劇的なフランス歌曲はないと言っても過言ではないでしょう。

<悲しき歌>
 煩わしい世俗から逃れ、愛する人の心に宿る月の光の中に安らぎを求めます。過去の苦悩を忘れ、これからの二人に想いを馳せ、癒される未来を描いてゆきます。終始繰り返されるアルペジオは、揺りかごのように、疲れた心を癒すように、優しく揺れ動きます。タイトルの「悲しき歌」はデュパルクがつけたものです。

<恍惚>
 恋人の胸の上で、恍惚として眠る。それはまるで死のようなのです。最も満たされた瞬間と死が繋がる感覚。ゆっくりと上行する前奏は、香りのように静かに立ち上ってきます。音楽は満たされ、時間が止まっているかのように過ぎてゆきます。

 <フィディレ>
 女性と愛を讃えた歌。真昼の輝く太陽の下、自然は命の息吹を解き放ち、フィディレは木陰に眠っています。そしてやがて訪れる夜には愛のひとときが待っているのです。真昼の光と影、その熱気と心地よさを音楽は芳醇に描き出してゆきます。「憩え おおフィディレ(Repose, ô Phidylé)」、このフレーズが印象的に繰り返され、劇的なクライマックスへと展開します。

〜 G.フォーレ 〜

 <夢のあとに>
 歌だけでなく、チェロなどでも演奏される名曲です。詩の内容は直情的な分かりやすいものです。これは作詩者ロマン・ビュシーヌがイタリア中部トスカーナの伝承詩を翻訳したものだからでしょう。終始刻まれる和音は、音色の変化が美しく、フォーレの歌曲の中でも抜きん出ています。連続する8分音符は、時の流れを象徴していると言われています。和声とバスと歌の旋律、この3つの要素が実に見事に詩の情感を描いてゆきます。

 <ネル>
 6月のバラ、太陽のきらめきを歌った愛の讃歌。ネルという名前は永遠という言葉の響きと重なります(éternel :エテルネル)。ピアノはきらめきのごとく、ときめきのごとく、繊細に、大胆に、歌を彩ってゆきます。

 <ゆりかご>
 港に停泊する船。男達はやがて船に乗って冒険へと旅立ち、女達は港で見送る。波の揺れは女達が揺するゆりかごの魂。波の揺らぎを模したピアノに乗って、別れの嘆きと男女の宿命が切々と歌われます。

 <夜曲>
 地上に咲く花と夜空の星を青い宝石箱に例えた大変美しいイメージです。そして最後に私の夜の魅惑と光は愛ときみの美しさだけだと歌うロマンティックな愛の詩です。神秘的な浮遊するような響きは、詩の雰囲気を見事に表現しています。静かに最高音まで上昇してゆくピアノのフレーズの美しさは息をのむほどです。フォーレの魅力が凝縮された一曲です。

 <月の光>
 ヴェルレーヌの詩集「艶やかなる宴」冒頭の詩。「あなたの魂」は、18世紀フランスの画家ヴァトーだといわれています。彼が描いた典型に「艶やかなる宴」の絵と呼ばれるものがあります。田園や庭園に集った男女が愛を語り合う様を描いたものです。ヴァトーはまた、当時流行したイタリア古典喜劇の役者を沢山描いています。イタリア古典喜劇は16世紀北イタリア、ベルガモで生まれました。アルレッキーノ、コロンビーナなどの典型的キャラクターが、恋愛や世相などを即興的に面白可笑しく演じるお芝居です。ヨーロッパ全域に伝わり、各地の古典演劇、オペラやパントマイムにも影響を与えました。ベルガモ風=ベルガマスクとは、このイタリア古典喜劇の衣装や様式、雰囲気を指しています。仮面を付け、きらびやかな衣装を纏い、その心に悲しみを隠しながら明るく滑稽に振る舞う役者たち。そこに「艶やかなる宴」のイメージが重なり、すべては月の光のなかで一つに混ざり合ってゆくのです。「艶やかなる宴」を発表したころのヴェルレーヌは、飲酒と放蕩とで荒れた生活を続けていました。それは初恋の人エリーザの死が原因だといわれています。恋愛に対してシニカルな冷めた感覚を抱いていたのでしょう。フォーレはこの曲に、メヌエットと副題を与えています。これは優雅に踊られる宮廷舞曲です。ピアノが主旋律を奏で、歌はむしろそれに寄り添うように歌われます。この主旋律の冒頭は、4分の3拍子でありながら、2小節を一つにした2分の3拍子にも聞こえます。また、旋律を支える低音は休符からはじまる分散和音です。これらの要素により、音楽はどこか儚げで典雅な気分を見事に表現しています。それはまさに月の光の下で繰り広げられるいにしえの「艶やかなる宴」を幻想的にイメージさせてくれます。

 <アルページュ>
 夜の公演の奥底に響く笛の音。夜は偽わりであり、その髪に飾られる月は東洋の宝石。青い瞳の三人の美女。星を映す泉。銀色の小径。神秘的なイメージを喚起させる言葉が音楽を呼び覚まし、笛の音を模したピアノの旋律が繰り返し印象的に響きます。



ひとときの歌 第11回  2009年 8月2日(日)  
18:00PM開演 (17:30PM開場) JTアートホール アフィニス
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
谷 篤 リサイタル in 北見 vol.3
2009年4月19日(日) 18:30開演  北見芸術文化ホール・音楽ホール
主催:きょうの音楽を考える会
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
美しき水車屋の娘 Die Schöne Müllerin 〜 Franz Schbert  
 粉挽き職人を志す若者が、修業の旅に出ます。小川に沿ってゆくと、水車の回る一軒の製粉所があり、そこには美しい娘がいたのです。若者はそこに弟子入りし、娘に恋をします。恋ゆえの苦悩、喜び、不安、幸せ・・・が、シューベルトのみずみずしい調べで歌い上げられてゆきます。やがて恋敵の狩人が現れ、娘の気持ちは狩人へと移ってゆきます。若者は焦り、苛立ち、そして絶望へと到り、唯一の親しい存在である小川にその身を委ね、水底に眠ります。慰めと優しさに溢れるシューベルトの音楽が、その心情を切々と奏でてゆきます。
 この物語の背景にはドイツの職人制度があります。水車屋とはつまり、水車の動力を利用して石臼を回し、製粉する職人のことです。この粉挽き職人を志す者は、まずどこかの製粉所に弟子入りします。そこである期間修業を積むと、別の仕事場を求めて旅に出ます。そうして幾つもの修業を経て技術を磨き、一人前になっていくのです。
 この作品の詩人W.ミュラー(1794〜1827)と作曲家F.シューベルト(1797〜1828)が生きた時代は、産業革命の発展期と重なります。動力は水車から蒸気機関へと転換され、それとともに職人制度が息づく牧歌的時代は終焉へと向かいます。近代へ移行する劇的な時代転換は、社会にかつてない不安や矛盾を生み出しました。激しい変化の渦の中、特に若者は未来への展望を持つことが難しくなり、社会との関わりにおいて精神の安定を得られなくなっていきます。その結果、彼らの中の特に繊細な精神の持ち主たちは、現実から逃避し、精神的放浪(さすらい)へと向かいます。その行く先の一つが過去への回帰なのです。「美しき水車屋の娘」は、まさにそのような時代の機運を反映した、古きよき時代、滅び行くものへの共感から生まれ出た作品と言えるでしょう。愛ゆえの喜び、苦しみ、官能、怖れといった人間のさまざまな感情が、牧歌的舞台を背景に、素朴に描かれてゆきます。それは、社会のシステムがさらに複雑に進化し、あらゆる場面で人の温もりが感じにくくなってしまった現代に生きる我々にとっても、精神的オアシスと言えるものだと思います。時代がどんなに変化しても、人を愛するという人間の根源的感情は変わることはありません。この作品は、我々が便利さと引き換えに失ってしまった大切なものを思いださせてくれるように、私には思えます。私たちはもう、せせらぎを聞いて、それは妖精が歌っているのだと信じられるような心と美しい小川を、暮らしの中から失ってしまったのですから。
  全20曲からなるこの歌曲集の神髄を存分に味わって頂くために、日本語訳詩の朗読を挟んでゆきます。訳詩朗読は単に歌詞の意味を辿ることに留まらず、ミュラーの詩情を浮き彫りにし、シューベルトの音楽を鮮やかに映し出す案内人としての役割を果たします。
 澄んだ小川と広がる空のもとへ想いを馳せる物語と音楽のひととき、皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

1. さすらい Das Wandern
 粉挽き職人の修業中の若者が、一人前になるために新たな修業の場を求めてさすらいの旅に出かける。川の流れ、水車、石臼という水車屋の仕事道具自体が「さすらい」をあらわしている。

2. どこへ?  Wohin?
 さすらいの旅に地図はない。若者は明るくせせらぐ小川を頼りに、流れに沿って進んでゆく。せせらぎは彼を魅了し、小川はせせらぎに沿っていけば必ず水車屋にたどり着くと彼を励ます。

3. 止まれ!  Halt!
 榛の木の向こうに水車屋が見える。若者は水車の奏でる響きに心を踊らせる。この水車屋に導いてくれたんだねと、彼は小川に問い掛ける。

4. 小川への感謝  Danksagung an den Bach
 その水車屋には美しい娘がいた。その娘が小川に託して自分を誘ったのか、小川が自分をだまそうとしているのか、若者は考える。その答えはないのだが、若者はここで見習いの修業をしようと決意し、小川に感謝する。

5. 仕事終わりの夕べ  Am Feierabend
 若者は仕事を始めるが、他の弟子たちと大してかわらない自分の腕前にいらだつ。一際の腕前を見せて、水車屋の娘に認めてもらいたいのだ。親方は皆を褒め、娘も皆にお休みを言う。

6. 知りたがり  Der Neugierige
 若者は娘の気持ちを知りたいと思う。小川に尋ねてみるが、返事はない。「はい」と「いいえ」、この二つ言葉が彼の心を支配する。愛情の喜びと不安が交錯する。

7. いらだち  Ungeduld
 若者は娘への気持ちを抑えきれない。なんとかしてこの胸の内の熱い思いを娘に伝えたいと願う。「この心は君のもの」という気持ちをあらゆるやり方で表したいと焦燥し、情熱はさらに高まる。

8. 朝の挨拶  Morgengruss
  朝の挨拶になぜか娘は顔を背ける。若者は戸惑い、控えめに、それでもなんとか自分の気持ちを伝えたいと願う。愛ゆえの不安と悩み。

9. 粉挽きの花  Des Mu¨llers Blumen
 小川のほとりに咲く青い花々。娘の青い瞳と同じ色。若者はその花を窓辺に植え、自分の気持ちを娘に伝えて欲しいと託す。

10. 涙の雨  Tra¨nenregen
 小川の岸に二人で座っている。流れに映る娘の姿を見つめ、若者は幸せを噛みしめる。流れには空が映り、若者には水底に天が沈んでいるように思えた。そして小川が自分を川底へと誘っていると感じる。終末の予感。

11. 私のもの!  Mein!
  すべての音よ静まれ。ただ一つの詩を響かせるために。「水車屋の娘は私のもの!」。この幸せを理解するものはこの世でただ一人私だけなのだ。歓喜が響き渡る。

12. ひと休み  Pause
 幸せすぎて、もうこの気持ちを歌うことさえ出来ない。若者はリュートを緑のリボンで縛り、壁に掛ける。そのリボンの端が時々弦に触れ、ため息のような音を奏でる。それは苦悩の余韻か、新たな予感か?

13. 緑のリュートのリボンで  Mit dem gru¨nen Lautenbande
 娘が、リュートに結びつけた緑のリボンを好きだと言った。若者はすぐにそれを解いて娘に贈る。緑は愛の色、希望の色。二人を結びつけてくれる色。

14. 狩人  Der Ja¨ger
 恋敵が現れる。狩人。若者は苛立ち、不安にさいなまれ、荒々しい感情を狩人に向ける。

15. 嫉妬と怒り  Eifersucht und Stolz
 小川は若者の苛立ちに呼応するかのように激しく波立つ。その激流は恋敵の狩人へと向かうが、若者はそれを引き止め、むしろ心変わりした娘を諌めて欲しいと懇願する。

16. 好きな色  Die liebe Farbe
 娘は緑が好き。だから緑の喪服を身にまとおう。娘は狩が好き。だから愛という獣を狩に行こう。愛を弔う葬送。

17. よこしまな色  Die bo¨se Farbe
 この世界から緑をすべて消し去りたい。忌まわしい色。粉まみれの白い男には無縁の色。娘に別れを告げる。

18. 枯れた花  Trockne Blumen
 娘からもらった花を全部、一緒に墓に入れて欲しいと若者は願う。春がやって来ても、その花だけは芽吹くことはない。いつか娘が、自分のことを誠実な人だったと思い返してくれるとき、初めてその花は芽吹き、春がやって来るのだ。

19. 粉挽きと小川  Der Mu¨ller und der Bach
 粉挽きと小川の対話。誠実な心が愛にやぶれると、花は枯れ、月は隠れ、天使はすすり泣くと、粉挽きが言う。愛が苦しみから解き放たれると、星が輝き、薔薇が咲き、天使は地上に降り立つと、小川が答える。若者は小川の優しさに心打たれ、水底に憩いを見いだす。

20. 小川の子守歌  Des Baches Wiegenlied
 若者は小川の底に身を横たえる。小川は子守歌を歌う。喜びも苦しみもすべて忘れて眠りなさいと。月が昇り、霧は晴れ、上空にはただ天が、果てしなく広がっている。


第10回  2009年 2月2日(月)  
19:00PM開演 (16:30PM開場) 東京文化会館小ホール
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
谷 篤 リサイタル in北見 vol.2
2008年5月11日18:30開演(17:40開場 17:50プレトーク) 
北見芸術文化ホール・音楽ホール
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
冬の旅 Winerreise 〜 Franz Schbert  
  それは、社会から拒絶された若者が、冬の原野をあてもなくさすらう旅。自分の居場所を求め、彼はひたすら歩き続けます。その孤独は、社会に認められることことなくこの世を去ったシューベルトの人生に重なり、そして時を越え、人の結びつきが希薄になってゆくこの社会をも暗示しているかのようです。私はそこに深い感銘と慰めを覚えます。
 冬の旅を辿るために、日本語訳詩朗読を道先案内人として本編に挟んでゆきます。朗読は、歌詞の意味を辿るに留まらず、ミュラーの詩情を浮き彫りにし、シューベルトの音楽を鮮やかに照し出す道標としての役割を果たします。二十四の孤独な魂の軌跡を辿るひととき。皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

 「冬の旅」 について〜 谷 篤

 「冬の旅」は、一つの物語の終わりから始まります。一人の若者が、美しい五月にある街にやって来ました。娘と恋に落ち、幸せな夏から秋を過し、結婚まで考えるようになります。ところが娘は心変わりし、別の金持ちとの結婚が決まります。元々よそ者である彼は厄介者となり、冬の夜、人目を避け、逃げるようにあての無い旅に出るのです。これが「冬の旅」の始まり。愛を失った者が苦悩を抱きつつ冬の原野をさまようという舞台設定ですが、失恋は旅を始める単なる切っ掛けにしかすぎません。なぜなら、愛の対象である娘の具体的描写はほとんど無く、ただ「綺麗な娘」とか「愛しい人」という表現だけで、どんな女性かは全く分からないのです。これは愛を描いた作品としては異常なことです。つまり「冬の旅」は、失恋の苦悩を描いた作品ではないのです。そこに描かれているのは、共同体としての社会からはじき出された者が、居場所を求めて現世をさまよう、孤独な心の軌跡なのです。特に後半になると娘は全く姿を消し、むしろ「死」が大きな比重を占めてきます。生きて現世をさすらうことは死によって完結するわけですから。
 「死」が初めて登場するのは5曲目の「菩提樹」。菩提樹は彼に語りかけます。「ここにお前の安らぎがあるのだよ」と。これは永遠の安らぎ、「死」を意味します。彼は死を選ばず旅を続けますが、それは必ずしも彼の強い意志ではありません。突然風が吹きつけてきて、気がつくとずっと遠くまで歩いてしまったのです。始まりもそうでした。彼には居場所がなくなり、仕方なく旅に出るのです。社会からはじき出されたいと自ら望む人は居ないでしょう。社会が誰かをはじき出すのです。この国には年間3万人を越える自殺者がいます。その中には、社会からはじき出され、仕方なく自ら命を絶つ人も少なくないでしょう。またはじき出されながらも、必死で自分の居場所を探し求める人も多くいるでしょう。「冬の旅」の孤独は、決して他人事ではなく、人の結びつきが希薄になり、私利私欲のために容易く他者を否定するこの社会への警鐘とも捉える事が出来ます。
 孤独な若者は、死の影を感じ、それを求めながら、道しるべに導かれ、墓地へと辿り着きます。彼はその冷たい部屋に永遠に安らぎたいと望みます。でも受け入れられず、彼はさらに旅を続けます。そうして誰もいない村外れの雪原で、ただただライヤーを弾き続ける奇妙な老人と出会います。「冬の旅」に登場する唯一の人物。彼はこの老人と運命を共にすることを予感します。「私の歌に合わせてライヤーを弾いてくれるか」という問い掛けで「冬の旅」は幕を閉じます。終わりの無い物語なのです。
 シューベルトは、良き仲間に恵まれ、彼を中心としたシューベルティアーデという集まりさえありましたが、社会的にはほとんど認められず、経済的にも困窮していました。シューベルトは、社会からはじき出された「冬の旅」の若者に自らを重ね合わせていたように、私には思えます。彼の神学校時代からの友人ヨーゼフ・フォン・シュパウンが、1827年「冬の旅」第一部(前半の12曲)が完成した後の出来事として、こんな話を伝えています。
 シューベルトは憂鬱そうで、とてもくたびれている様に見えた。訳をきくと、「もうすぐ君たちにも分かってもらえるさ」としか答えなかった。ある日、彼は私に「今日ショーバー(友人)の家に来てくれないか。凄い歌曲集を聴いてもらいたい。この歌のために、僕はこれまでの歌よりも、ずっと精力を消耗したのだ」と言った。そして、彼は感動に声を震わせ、「冬の旅」全曲を歌ってくれた。我々はその歌曲集のあまりに暗い雰囲気にすっかり呆気にとられてしまった。シューベルトは「僕はどの歌よりもこの歌曲集を気に入っている。いずれ君たちも気に入ってくれるだろう」と言うだけだった。彼は正しかった。やがて我々も、フォーグル(友人・歌手)が立派に演奏したとき、この悲哀に満ちた曲想に深く感銘を受けたのだった。
 我々は、シューベルトはまだまだ元気な若者だと思っていたが、彼はこのときからくたびれた様子だった。彼が午前中に作曲している様子を一度でも見た者は、彼の燃えるように輝いた眼と、夢遊病者に似た様子を決して忘れないだろう。午後になると、彼は普段の状態に戻り、優しく、そして自分の感情を見せずに自分の中に閉じこめてしまうよう心掛けていた。
 1828年11月11日、彼は床に伏していた。重病であるにもかかわらず、ひどい苦痛の様子を見せる事はなかった。ただ、だるさを訴え、時々うわごとを言っていた。彼はわずかの合間を利用して「冬の旅」の第二部(後半の12曲)の校正をしていた。
 11月19日午後3時、彼は永眠した。

 


1. おやすみ
主人公の若者は愛を失い、厄介者となり、もうその街に留まることが出来なくなってしまった。その経緯と、彼の心境が語られる。社会からはじき出された者が、冬の夜、人目を避け、逃げるように、あてのない放浪の旅へと出かけるのである。その旅を象徴するかのように「歩みのリズム」が終始刻まれて行く。

2. 風見の旗
外に出ると、恋人の家の屋根の上で風見の旗が風にもてあそばれている。それは移り気の象徴。

3. 凍った涙
涙が凍って、頬から落ちる。胸の中は燃えたぎるように熱いのに。

4. 凍てつき
一面の雪原に幸せだった夏の名残を探し求める。そこは恋人と一緒に歩いた思い出の草原。自分の心もこの雪原と同じように凍てついている。

5. 菩提樹
菩提樹の木陰。そこはいつも足を向けた憩いの場所。今日、真夜中、その傍を通り過ぎる。目を閉じると枝がざわめき、語りかけてくる。「ここにお前の安らぎがあるのだ。」と。これは永遠の安らぎ、死を意味している。彼は死を選ばず、はみ出し者として、あてのない、いつ終わるともしれない、現世の冬の旅を続けるのである。

6. 溢れ流れる涙
涙が溢れ、雪に染み込んでゆく。その涙も春になれば雪と一緒に融けて、街まで流れて行き、彼女の家の前で熱く燃えるだろう。

7. 流れの上で
凍てつき、氷で覆われてしまった川。その固い表面に、彼女の名前と思い出の日付、果たされなかった婚約の象徴として壊れた輪を刻み込む。

8. 振り返り
決して振り返ることなく、必死で歩いてきた。変わり果てた街の姿を見たくなかったのだ。五月には、花が咲き、鳥は歌い、娘の輝く瞳が彼を迎えてくれたのに。未練を断ち切って旅を続ける。

9. 鬼火
鬼火に誘われるまま、岩山へと分け入る。すべての川が海に行きつくように、どんな悲しみもいずれはその墓に入る。

10. 休息
狭い炭焼き小屋で休息をとる。静けさの中に身を置いて、心身の苦悩が疼き始めるのを感じる。休もうとしない身体が「歩行のリズム」を刻み続ける。

11. 春の夢
夢を見た。五月を、花を、鳥を、草原を、愛を、恋人を、幸せを、喜びを。雄鶏の声が時を告げる。窓の霜が葉っぱに見える。それは春を夢見る愚か者をまるであざ笑うかのよう。

12. 孤独
嵐も止み、穏やかに晴れ渡り、光あふれる外界。人々の明るい暮らしの中をただ一人、誰とも交わることなく、孤独な旅を続ける。自分の惨めさがいっそう際立つ。足を引きずる重たい「歩行のリズム」。

13. 郵便馬車
郵便馬車の到着を告げるラッパの音が聞こえてくる。自分宛に手紙が届く訳もないのに、心は高鳴る。

14. 白髪の頭
霜が黒髪を覆い尽くした。老人になったかと喜ぶが、すぐに元通り。死を願うが、まだ遥かに遠い。

15. からす
ずっと頭の上を飛んで、彼の後をついてきた奇妙な鳥。死を予感させる不吉な鳥だが、今はむしろ親しく思える。唯一の忠実なる存在。

16. 最後の望み
木立に残る枯れ葉。その一枚に自分の希望を託す。その葉とともに自分の希望も散りはてる。

17. 村
寝静まった村を一人通り過ぎる。番犬が吠え、その鎖が鳴る。ベッドで夢をむさぼる小市民、普通の人たち。社会からはみ出した彼には、もう夢など無縁なもの。

18. 嵐の朝
雲はちぎれて飛び、赤い閃光が走る激しい冬の嵐。それは自分の精神に相応しい朝。

19. 惑わし
怪しい光に、誘われるままについて行く。それは氷と夜と恐怖の向こうに、暖かい家庭と愛する人を見せてくれる。惑わしが唯一手に入れられるもの。

20. 道しるべ
人目を避け、人の通わぬ道を行く。それは狂気のなせる業。道しるべなど無縁の旅だが、一つの道しるべが目の前に現われ、ある道を指し示す。それはいまだかつて誰一人として戻ってきた者がいない道。「歩行のリズム」が行くべき道へと誘う。

21. 宿屋
その道は墓地へと繋がっていた。ここで休みたい、永遠の眠りにつきたいと願ったが、受け入れられず、仕方なく旅を続ける。

22. 勇気
死を拒絶され、今一度勇気を奮い起こす。この世に神がいないのなら、自らが神となろう。

23. 幻の太陽
空に太陽が三つ。何を意味するのか。彼もかつて太陽を三つ持っていた。だが今は良い方の二つが沈んでしまった。ならば全部沈んで、暗闇の方がましというもの。

24. 辻音楽師
村外れの雪原でライヤーを弾く老人。誰も聞いていないのに、なるがままに任せ、一心にライヤーを弾いている。この旅で出会った唯一の人間。それは社会から見捨てられた絶望なのか、現世の希望なのか。


第9回  2008年 3月22日(土)  
17:00PM開演 (14:30PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
歌の慰め
 「音楽には真の哲学がある。なぜなら、音楽は去りゆくもの、死についての絶えざる考察だからである。」これは中世ヨーロッパの音楽理論家Adam von Fulda(?−1505)の言葉です。音楽も人生も時の経過とともに消え去ってしまう儚い存在であるということでしょう。消えゆくもの、死について考えるということは、言い換えれば生について考えるということです。生と死は表裏一体、生は死によって完結するわけですから。
 人はなぜ歌うのか。歌について考えるとき、この「死(生)についての絶えざる考察」ということが、私には一つの答えであるように思われます。人は歌を通して、儚く過ぎゆく人生の意味を感じるのではないでしょうか。そして、歌はイキ(息)から響き出るもの。歌うことは、すなわちイキ(生)ること。だからこそ、歌(音楽)は生の意味を解き明かし、苦悩を慰め、悲しみを癒し、喜びを膨らませてくれるのだと思うのです。
 荒々しい人間社会から逃避するように、自然に癒しを求めた詩人ケルナー。その魂の震えに共鳴し、言葉に寄り添うシューマンの音楽。時に雄々しく、時に優しい、慰めに満ちた12の歌。バッハ、シューベルト、マーラー、パーセル、デュパルク、プーランク、サティ、林光。嘆き、悲しみ、祈り、感謝、喜び・・・を紡ぐ選りすぐりの歌。朗読と歌で綴る「歌の慰め」のひとときです。

 R.シューマン
J.ケルナーの詩による12の歌曲 op.35

1. 嵐の夜の喜び
2. 愛と喜びを捨て去る
3. さすらいの歌
4. はじめての緑
5. 森への憧れ
6. 亡き友のグラスに
7. さすらい
8. ひそやかな愛
9. 問い
10. ひそやかな涙
11. 誰がおまえをそんなに傷つけたのか?
12. むかしのリュート

 H.パーセル
ひとときの音楽(J.ドライデン)

 J.S.バッハ
眠れ、汝疲れし眼 BWV 82-3

 F.シューベルト
音楽に寄す(F. von ショーバー)

 G.マーラー
私はこの世に忘れられ(F.リュッケルト)

 H.デュパルク
旅への誘い(Ch.ボードレール)

 F.プーランク
セー(L.アラゴン)

 E.サティ
帝国劇場の歌姫(N.ブレ& D.ボノ)

 林 光
さつきのつや消しの(宮澤 賢治)
すきとほつてゆれてゐのは(宮澤 賢治)

 


第8回 2007年 9月14日(金)  
19:00PM開演 (18:30PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
第8回 in コムルケセラ 2007年 9月28日(金)  
19:00PM開演 (18:30PM開場) コムルケセラ
谷 篤・バリトン&朗読/官尾美保・ピアノ
 
さまざまな愛の歌 2
 古の昔から、人はさまざまな想いを歌にしてきました。中でも「愛の歌」は、おそらくこの世で一番多く、多様でしょう。「愛」は人にとって根源的であり、言い換えれば「生きる証」、「人生そのもの」とも言えるでしょう。時代、民族、言語、聖俗を越え、「愛」はいつも歌われてきました。その喜び、悲しみ、官能、苦悩・・・を。そんな「さまざまな愛の歌」を集めました。日本語訳詩の朗読で愛の詩情を感じ、歌とピアノでその奥深い情感を味わう「ひととき」です。この春、東京と北海道(北見)での「ひとときの歌・7〜さまざまな愛の歌」の続編、前回取り上げきれなかった、七つの言語による名歌を揃えました。今回も東京と北海道(美幌)での2公演を予定しています。
 東京会場は、都会の喧騒のすぐそば、閑静な住宅街に佇む歴史を刻んだ明日館講堂。密閉され、日常から切り離されたコンサートホールとは違い、日常と繋がりつつ、日常からちょっと離れて、音楽をより身近に感じさせてくれる空間です。さまざまな愛を味わうひととき。
 F.シューベルト
泉のほとりの若者(J.G.ザーリス=ゼーヴィス)
海辺にて(H.ハイネ)

 R.シューマン
なぜ孤独の涙が(H.ハイネ)
私の薔薇(N.レーナウ)

 J.ブラームス
菩提樹が立っている(ドイツ民謡)

 G.フォーレ
贈り物(V.de リラダム)

 R.アーン
クロリスに(T.de ヴィオ)

 E.ショーソン
はちすずめ(L.de リル)

 H.デュパルク
吐息(S.プリュドム)
恍惚(J.ラオール)
悲しき歌(J.ラオール)

 С.ラフマニノフ
ひそやかな夜のしじまの中で(A.A.フェート)
歌わないで、美しい人よ(A.S.プーシキン)

 P.チマーラ
海のストルネッロ(G.ペーシ)

 A.ヒナステラ
もの忘れの木の歌(F.S.ヴァルデス)

 イギリス民謡
流れは広く 

 林 光
わかれ(中野 重治)

 萩 京子
朝に晩に読むために(ベルトルト・ブレヒト)

 

 

第7回 2007年 4月7日(土)  
15:30PM開演 (15:00PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
第7回 in 北見 2007年 5月13日(日)  
19:00PM開演 (16:30PM開場) 北見芸術文化ホール・音楽ホール
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
 
さまざまな愛の歌
 いにしえの昔から、人はさまざまな想いを歌にしてきました。中でも「愛の歌」は、おそらくこの世で一番多く、多様ではないでしょうか。「愛」というテーマは人にとって根源的であり、言い換えれば「生きる証」、「人生そのもの」とも言えるでしょう。時代、民族、言語、聖俗を越え、「愛」はいつも歌われてきました。その喜び、悲しみ、官能、苦悩・・・を。今回はそんな「さまざまな愛の歌」を集めました。日本語訳詩の朗読で愛の詩情を感じ、歌とピアノでその奥深い情感を味わう「ひととき」のコンサートにしたいと思います。
 会場は、都会の喧騒のすぐそば、閑静な住宅街に佇む歴史を刻んだ明日館講堂。密閉され、日常から切り離されたコンサートホールとは違い、日常と繋がりつつ、日常からちょっと離れて、音楽をより身近に感じさせてくれる空間です。さまざまな愛を味わうひととき。
 F.シューベルト
愛の便り(R.レルシュタープ)
我が挨拶を(F.リュッケルト)

 R.シューマン
はすの花(H.ハイネ)
我が苦悩の美しき揺りかご(H.ハイネ)
ひそやかな愛(J.ケルナー)

 H.ヴォルフ
飽くことを知らぬ恋(E.メーリケ)
我が魂が感じているのは(ミケランジェロ B.)

 G.フォーレ
夢のあとに(R.ビュシーヌ)
クリメーヌに(P.ヴェルレーヌ)

 C.ドビュッシー
ひそやかに(P.ヴェルレーヌ)
わびしい対話(P.ヴェルレーヌ)

 H.デュパルク
フィディレ(L.de リール)

 E.サティ
やさしく(V.イスパ)

 P.チマーラ
郷愁(H.ハイネ)

 M.グリンカ
疑惑(N.クーコリニク)

 イギリス民謡
グリーンスリーヴス 

 林 光
やさしかったひとに(山元 清多)
河辺のロマンス(山元 清多)

 寺嶋 陸也
夜のパリ(J.プレヴェール)

 間宮 芳生
ちらん節(鹿児島県民謡)
              

 

第6回 2006年 4月1日(土)  
14:50PM開演 (14:30PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
三つの愛の歌曲集
 今回は愛をテーマに歌った3つの歌曲集です。今年、没150年の節目を迎えるシューマンの「詩人の恋」。文学に深く精通したシューマンだからこその、詩と音楽との見事な融合。ピアノは、言葉の奥に潜む感情のひだを縫い取るように奏で、歌以上の歌として響く、まさに歌曲の醍醐味を存分に味わえる作品と言えるでしょう。近代フランス歌曲のエスプリが凝縮されたフォーレの「優しき歌」。フォーレならではの、魅力ある旋律とそれを彩るハーモニー。この歌曲集について、後年フォーレ自身「これほど自発的に書けた作品はない。」と語っています。明快であって多様である、実に味わい深い作品です。そして、同名の立原道造の詩による柴田南雄の「優しき歌」。立原の詩は、音楽を呼び寄せる抒情性を持ち、故に多くの作曲家が作曲しています。その中でも、立原と時代的にも社会的にも最も近い存在であった柴田南雄のこの歌曲集は、抒情性に溺れる事なく、愛に揺れ動く心の機微を見事に歌い上げています。
 R.シューマン 作曲/H.ハイネ 作詩
詩人の恋 Dichter Liebe Op.48
 G.フォーレ 作曲/P.ヴェルレーヌ 作詩
優しき歌 La Bonne Chanson Op.61
 柴田 南雄 作曲/立原 道造 作詩
優しき歌
 

第5回 2005年 7月3日(日)  
18:00PM開演 (17:30PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷 篤・バリトン&朗読/星野 明子・ピアノ
夕暮れに歌う〜様々な夕暮れの歌を、夕暮れ時に、夕暮れを感じながら・・・
 コンサート当日7月3日、東京の日没を調べると19:01でした。 「夕暮れに歌う」、今回はそれに合わせて18:00から演奏しようと思います。コンサートとともに、夕暮れは次第に深まってゆきます。その光の移り行くさまを感じながら、「夕暮れの歌」を味わって頂きたいという趣向です。会場の明日館講堂は歴史的建造物で、窓からは外の光が入り、町並みや木立、空が見えます。まさに今回の趣旨にふさわしい会場です。
 これは通常の音楽ホールでは望めないことです。ホールでは外界の光と音は遮断されています。それはもちろん音楽をより深く味わうためですが、しかしその結果、音楽は暮らしからも切り離された遠い存在になってしまっているように、私には思われます。そして暮らしの中には、それを補うかのように記録(レコード)音楽が再生され、氾濫しています。これは決して豊かなことだとは思えません。明日館講堂では、光のみならず、周囲の音や、街の気配さえ感じられます。暮らしとつながった空間の中で、記録ではないその時限りの音楽を味わって頂きたい。ホールでは決して感じることの出来ない音楽との出会いが、そこにはきっとあるはずです。・
 夕暮れは、光が支配する昼間から、闇が支配する夜へと移り行くひとときです。夕日は赤く金色に世界を染め、光と闇は交錯し、目に映る景色は急速にその姿を変えてゆきます。人はその光と色彩に魅了され、その時精神は日常から解き放たれる。神の世界を感じ、遥かな人へ思いをはせ、祈り、畏れ、感謝し・・・・。古来より詩人は、様々に夕暮れを歌ってきました。夕暮れの歌とともに過ごす夕暮れのひととき。終演の頃には、もう夜の帳が街を包み込んでいることでしょう。
 F.シューベルト 作曲
夕映えの中で D.799 (K.ラッペ)
夕星 D.806 (J.マイアホーファー)
水の上で歌う D.774 (F.L.S-シュトルベルク)
 R.シューマン 作曲
異郷にて Op.39-1 (J.アイヒェンドルフ)
たそがれ Op.39-10 (J.アイヒェンドルフ)
 G.フォーレ 作曲
秋 Op.18-3(A.シルベストル)
夕暮れ OP.83-2 (A.サマン)
 C.ドビュッシー 作曲
美しき夕暮れ (P.ブルジェ)
夕暮れの諧調 (Ch.ボードレール)
 Ch.グノー 作曲
セレナード (V.ユゴー)
 H.デュパルク 作曲
前世 (Ch.ボードレール)
 林 光 作曲
四つの夕暮れの歌 谷川俊太郎
お日さんに 宮澤賢治
 山田 耕筰 作曲
鐘が鳴ります 北原白秋
 柴田 南雄 作曲「優しき歌」より
序の歌 立原道造
落葉林で 立原道造
 吉川 和夫 作曲 「かなしい遠景」より
かなしい遠景 萩原朔太郎
くさつた蛤 萩原朔太郎
 多 忠亮 作曲 
宵待草 竹久夢路
 

第4回  語りと音楽、歌の夕べ
第一夜  2005年 3月23日(水) 谷 潤子・ソプラノ/谷 篤・バリトン&朗読/鈴木 大介・ギター
第二夜  2005年 3月30日(水) 谷 篤・バリトン&朗読/揚原 祥子・ピアノ
6:30PM開演 (6:00PM開場) 自由学園明日館・講堂
 第一夜:谷潤子の歌、谷篤の語り、鈴木大介のギターで、スペインなひととき
「プラーテロと私」 J.R.ヒメネス・作詩/M.カステルヌオーヴォ=テデスコ・作曲(ギターと語り)
「7つのスペイン民謡」M.de ファリャ・作曲(歌とギター)他
 「プラテーロと私」は、スペインの詩人、J.R.ヒメネスの代表作。詩人の故郷モゲールを舞台に、愛するロバ「プラテーロ」との心の交流や想い出を通して、アンダルシアの田舎町の牧歌的風物や自然、貧困や偽善といった人間の内面などを描いた散文詩です。1917年に完全版が出版されるとスペイン国内はもとより、広く世界中で愛読され、82年のある資料によれば、20カ国語、57種の翻訳が出版されています。プラテーロに優しく語りかける口調で綴られた全138編は、副題の「アンダルシアのエレジー」が示すように、エレジーと牧歌の間を往き来する、詩人の優しい眼差しにあふれた珠玉の物語です。作曲のM.カステルヌオーヴォ=テデスコはイタリア系ユダヤ人で、1939年にはムッソリーニの迫害を逃れてアメリカに移住し、作曲活動を続けました。映画「名犬ラッシー」の音楽などで知られています。
 そしてM.deファリャ作曲「7つのスペイン民謡」他、様々な歌をギターとともに。ピアノ伴奏とは一味違った響きを堪能して頂きたいと思っております。
 第二夜:谷篤の歌と語り、揚原祥子のピアノで、ドイツなひととき
「イノックアーデン」 A.テニスン・作詩/R.シュトラウス・作曲(ピアノと語り)
「万霊節」「明日」他 R.シュトラウス・作曲の歌曲
 「イノック・アーデン」は、音楽を伴う朗読「メロドラマ」というスタイルの作品です。既に作曲家として注目されていたシュトラウスにとって、「メロドラマ」の作曲は、交響詩のように全力を傾けたものではなかったでしょう。しかしそれ故、より親しみ易く、分かり易い作品となっていて、その点では傑出していると言えるでしょう。3人の登場人物、イノック、アニイ、フイリップには、それぞれ特定のライト・モティーフ(示導動機)があり、それを様々に変容させることによって、その人物の心理状態や、出来事を、音楽で描いてゆきます。原作は、イギリスの詩人、アルフレッド・テニスンによる散文詩です。初版は1864年。即日1万5千部を売り尽したというベストセラー。 シュトラウスは、ドイツ語訳に基づいて作曲しています。
  1988年に初めて日本語翻訳を行い、数回の改定を経て、今回全編に渡って見直しました。原詩のニュアンスを生かすこと、聴き言葉として美しい日本語にすること、この時に矛盾する二つの要素をいかに両立させるかが、とても難しく、また楽しい作業でもありました。

【イノック・アーデン あらすじ】 〜 ある港に育った3人の幼なじみの愛と友情の物語 〜
 二人の青年は一人の娘アニイ・リイに想いを寄せる。勇敢な船乗りイノック・アーデンは、愛を打ち明け、フィリップ・レイはその想いを心に秘める。アニイはイノックを愛し、二人は結婚する。あるときイノックは、子供達の将来を考え、稼ぎのよい東洋への航海に出る。残されたアニイは小間物屋を営むが、上手くいかず、次第に貧乏になっていく。アニイにずっと想いを寄せていたフイリップは、そんなアニイ一家の困窮を、イノックに代わって支援する。やがて十年が過ぎ、アニイはイノックの死を悟り、子供達のため、またフイリップの誠意に報いるために彼と結婚する。しかしイノックは生きていた。彼は難破し、流れ着いた無人島で、故郷へ帰ることを支えに生き延びていたのである。そして難破より十数年後、別の船に助けられたイノックは故郷へと帰るが、そこには妻と子供達の新しい幸福な生活があった。彼は自らの運命を悟り、妻と子供たちの幸福を壊さぬため、その素姓を隠し、波止場の安宿で暮らす。そしてその最期のとき、宿屋の女主人にすべてを打ち明けるのだった。
 

第3回  2004年 12月26日(日)  
2:45PM開演 (2:30PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷 篤・バリトン&朗読/寺嶋 陸也・ピアノ
寺嶋陸也作曲の2つの連作歌曲集「旅」「鳥羽(新作初演)」
R.シューマン作曲「リーダークライスOp.39」
<谷川俊太郎・詩/寺嶋陸也・曲の二つの連作歌曲集について>
テキストは、谷川俊太郎・詩/香月泰男・画による詩画集(1970年1月発行)『旅』より「鳥羽1-10、addendum」「旅1-8」。
「何ひとつ書く事はない・・・」という一行で始まる「鳥羽1」、「・・・/詩がある/私には書けない」と告白する「旅7」。
「書き得ない」という事をテーマにした詩集は、それ自体が矛盾していると言えよう。
私は縁あって、2003年9月に連作歌曲集「旅」を初演した。(ピアノ:寺嶋陸也)
この詩が持つ矛盾からくるやり場のない思いは、ひょっとしたら歌われることで救われるのではないかと、その時に感じた。
私の稚拙な言葉ではなんとも説明しきれないのだが、
文字として存在するよりも、言葉として発語されるほうが、
そしてさらに歌として響くほうが、その矛盾が許され、受け入れられるように感じた。
詩画集『旅』は、「鳥羽」「旅」「anonym」の3つの異なったタイトルを持つ詩で構成されている。
連作歌曲集「旅」を初演したあと、その不可思議な魅力が次第に私の中で膨らんでゆき、
作曲者・寺嶋陸也さんが「旅」以外の詩も作曲したいと考えている事を知り、
今回、「鳥羽」の新作初演となった。
そして「anonym」は・・・・・
 

第2回  2004年 4月4日(日)  
3:20PM開演 (3:00PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷篤・バリトン&朗読/揚原祥子・ピアノ
J.ブラームスとG.フォーレの歌曲
<J.ブラームス 作曲>
喜びに満ちた我が女王よ Op.32-9
君の青い瞳    Op.59-8
五月の夜     OP.43-2
日曜日      Op.47-3
歌の調べのように Op.105-1
墓地にて     Op.105-4
ことづて     Op.47-1
即興曲第3番より第一曲 Op.117-1 (ピアノソロ)
<G.フォーレ 作曲>
マンドリン  Op.58-1
静けさの中で Op.58-2
クリメーヌに Op.58-4
「幻の水平線」 Op.118  より
 1.海は果てしなく
 2.私は乗り込んだ
 3.ディアーヌ、セレネ
 4.船よ、我々はお前達を空しく愛した
 

第1回  2003年 10月13日(月・祝)
3:00PM開演 (2:30PM開場) 自由学園明日館・講堂
谷篤・バリトン&朗読/揚原祥子・ピアノ
F.シューベルトとG.フォーレの歌曲
<F.シューベルト・作曲>
月に寄せて   D.193
最初の喪失   D.226
薔薇のリボン  D.280
竪琴に寄せて  D.737
彼女がここにいたことを D.775
君こそは憩い  D.776
君こそは憩い  D.777
星       D.939      
即興曲第3番  D.899 (ピアノソロ)
<G.フォーレ・作曲>  
リディア    Op.4-2
河のほとりで  Op.8-1
ネ ル     Op.18-1
揺りかご    Op.23-1
秘密      Op.23-3
夜 曲     Op.43-2
スプリーン(憂鬱) Op.51-3
アルページュ  Op.76-2
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