〜 H.デュパルク 〜
<前世>
壮麗な宮殿に暮らした貴族としての前世の記憶。物質的には満たされていた暮しですが、心の中には苦悩が潜んでいたのです。それは現世への予感であるかのように思えます。12音節からなる壮麗なアレクサンドラン詩行で綴られたこの詩に比して、音楽もまた壮麗でみごとな品格を持つものです。デュパルクの歌曲の中では最晩年(1884年)の作曲。といっても30代半ばです。精神的な病に苦悩したその後の長い彼の人生を考えると、最後を飾るに相応しい傑作であると同時に、彼の人生の苦悩を予言していようにも思えてきます。
<ラメント>
白い墓、そこでは忘れられた魂が嘆きの歌を歌っているのです。それは救いを求める嘆き。随所に繰り返される下降する嘆きの旋律が印象的です。言葉は嘆きを表現するために、サ行の音を多用し、巧みに選ばれれています。
<ためいき>
どんなに報われなくとも、ひたすら愛に誠実であることを、切々と歌ってゆきます。1小節毎に繰り返される音型は、まさにため息のようです。色調を微妙に変えながら、心情を縫い取るように移ろってゆきます。
<旅へのいざない>
この詩は、当時ボードレールと親密な関係にあったマリー・ドーブランのために書かれたといわれています。ここに描かれている二人で暮らす夢の地は、オランダを思わせます。想像の中で実現した二人の理想郷、西洋の中の東洋、秩序と美の世界、壮麗、静寂、快楽に満たされた暮し。
夢幻の理想郷が霧の中から浮かび上がってくるかのようなピアノの響きに誘われ、伸びやかな旋律に乗せて熱い願いが歌われてゆきます。最後に置かれたリフレインで音楽はその歩みを止め、印象的な和音の響きの中で、その理想が淡々と語るように歌われます。後半、ピアノは高音域で弧を描くようなアルペジオを奏でます。音楽はよりいっそう自由さを増し、頂点へと至る展開は見事です。アルペジオはそのまま次第に静まってゆき、夢幻の彼方へと消えてゆきます。
〜 G.フォーレ 〜
「ヴェネチアの5つの歌曲」
1891年イタリアに滞在した際に得たインスピレーションをもとに作曲されたことから、このように名付けられました。5曲ともヴェルレーヌの詩によるもので、内容としては、ヴェネチアとの関連はありません。
<マンドリン>
マンドリンの響きを模したピアノは絶妙な味わいです。詩が描いているのは「艶やかなる宴(Fêtes galantes)」で繰り広げられる情景。(「月の光」の解説をご参照下さい。)すべては灰色のバラ色の月の光に、恍惚として溶け込んでゆくのです。
<静けさに>
愛に満たされ、木陰に憩う二人。やがて夕暮れが降りてくる時、ナイチンゲールが絶望を予言するごとく歌います。幸せの次に訪れるのは絶望なのでしょう。静かな満たされた和音が、そよ風のように、愛撫のように奏でられます。詩と音楽の見事な融合を感じさせてくれる名作です。
<グリーン>
寒い朝、息せき切らせて恋人のもとにやってきた弾む心を、贈物に添えて君に捧げます。君の胸に頭をのせて転がすという官能的な描写もありますが、音楽は爽やかで、清々しい抒情を表現してゆきます。高鳴る心を模したリズムにのせ、頭を転がして甘えるような短いメロディが、ピアノで繰り返し奏でられます。最後は安心して眠りにつく、幸せに満ちた恋の歌です。
<クリメーヌに>
クリメーヌを讃えた歌。詩の冒頭の言葉「神秘の舟歌 言葉なき恋歌」さながらの音楽は、見事としか言いようがありません。君の瞳、声、香り、すべてが心に沁み入る音楽なのです。「心優しき韻律にのせて 一つの調和の内へと誘う」そのあとには言葉は無くなってしまうのです。
<それは恍惚>
愛の官能と気怠さ、そこに潜む嘆きを歌う慎ましい夕暮れの祈り。言葉で描かれる繊細な響きは、ピアノの一貫した律動を呼び起こし、歌曲集の最後の歌として、それまでのモチーフがちりばめられ、全体を締めくくります。
〜 G.フォーレ 〜
「幻影」
フォーレ74才のときに作曲。最後から2番目の歌曲集です。この作品は、歌もピアノも中音域に留まって作曲されています。自己なる内を静かに見つめるような抑制された音楽は、詩のもつ神秘的な気分を心地よく響かせ、観念的で捉えにくいこの詩の味わいを親しいものに感じさせてくれます。
ここで描かれている幻影は、精神のうちに広がる漠とした印象の世界。それは現実とつながりながらも、現実より自由で儚く、現れてはたちまち消えてしまいます。
音楽は、言葉が描く精神世界の漠とした気分を印象的に響かせ、むしろ淡々と表現してゆきます。しかしそこには、繊細で多様な色調が万華鏡のように移ろってゆくのです。自らの精神と親しく向かい合う心の軌跡を、静かにたどる音楽です。
<水の上の白鳥>
冒頭の順次進行による多声的な響きの移ろいが大変美しく、白鳥が滑りゆくように16分音符が動きだすとろこは絶妙です。さりげない表現にこそ、フォーレの魅力があるのだと再認識させてくれます。続く旋律は、1フレーズ毎にすーっと高まってはゆるみ、それはまるで白鳥が、 未知なるもの求めて進んでは見失うことを繰り返すかのようです。そして、白鳥に呼びかけるところでは音楽はそれまでの歩みを止め、優しい響きの連打になり、冒頭の音楽と結びつき、穏やかな終焉へと向かいます。
「私の思いは一羽の白鳥。幻想の水上を 未知へと向かい、緩やかに滑ってゆく。危険をはらむその旅をやめ、自らの内に留まれと呼びかける 。」
<水の中の影>
水の中、そこは青い過去の世界。音楽は水面の反映を感じさせてくれます。緩やかな響きのゆらぎが、まるで生き物のように変化してゆきます。歌は常に淡々と移ろうように言葉を綴ってゆきます。やがて冒頭の音楽に戻り、「青い過去」に呼びかけます。そして、水面に波紋が生じ、やがて消え、鏡のような静けさを取り戻すところの描写は、息をのむようです。
「冷たく澄んだ水、それは青い過去。過去をに映し出される様々なものはどれも親しく、共に旅すること夢見る。」
<夜の庭>
南国の熱い夏の夜、静寂に包まれる庭に、水盤からしたたる水の音と風の青いそよぎだけがかすかに響いています。絶えず揺れ動くような穏やかな3拍子の音楽。エキゾチックな風物に囲まれて、官能的な愛が描かれてゆきます。詩も音楽も直情的ではありませんが、熱烈な愛の歌です。水滴の音を「夜の唇に歌う口づけ」と歌う最後は、実にさりげなく、印象的です。
「静寂なる夜の庭。したたる水音と風のそよぎだけが響く。香りと熱気に包まれ、官能に身を委ねる。」
<踊り子>
激しく、官能的に踊り続ける踊り子。その踊りは五感に働きかけてきます。絶えず繰り返される付点のリズムが、精神を心地よく酔わせてくれます。激しく動いているのにどこか静まり返っているような、不思議な印象が残ります。まさに幻影の踊り子です。
「しなやかに、激しく踊り続ける。手足をのばし、官能は解き放たれる。」
〜 H.デュパルク 〜
<波と鐘>
ある夢の話。夜の海、船は波に翻弄され、岸辺に辿り着く希望もなく漂い続けます。突然船底が抜けるとそこは鐘楼の中。鳴り響く鐘に必死にまたがっているという悪夢。それは人生そのものを象徴している夢なのです。人生とは、無益な仕事と永遠に続く大音響であると夢は告げています。しかもその行き着く先、その終わりについては何も語らずに。音楽は劇的にその悪夢の様を描いてゆきます。これほどまでに劇的なフランス歌曲はないと言っても過言ではないでしょう。
<悲しき歌>
煩わしい世俗から逃れ、愛する人の心に宿る月の光の中に安らぎを求めます。過去の苦悩を忘れ、これからの二人に想いを馳せ、癒される未来を描いてゆきます。終始繰り返されるアルペジオは、揺りかごのように、疲れた心を癒すように、優しく揺れ動きます。タイトルの「悲しき歌」はデュパルクがつけたものです。
<恍惚>
恋人の胸の上で、恍惚として眠る。それはまるで死のようなのです。最も満たされた瞬間と死が繋がる感覚。ゆっくりと上行する前奏は、香りのように静かに立ち上ってきます。音楽は満たされ、時間が止まっているかのように過ぎてゆきます。
<フィディレ>
女性と愛を讃えた歌。真昼の輝く太陽の下、自然は命の息吹を解き放ち、フィディレは木陰に眠っています。そしてやがて訪れる夜には愛のひとときが待っているのです。真昼の光と影、その熱気と心地よさを音楽は芳醇に描き出してゆきます。「憩え おおフィディレ(Repose, ô Phidylé)」、このフレーズが印象的に繰り返され、劇的なクライマックスへと展開します。
〜 G.フォーレ 〜
<夢のあとに>
歌だけでなく、チェロなどでも演奏される名曲です。詩の内容は直情的な分かりやすいものです。これは作詩者ロマン・ビュシーヌがイタリア中部トスカーナの伝承詩を翻訳したものだからでしょう。終始刻まれる和音は、音色の変化が美しく、フォーレの歌曲の中でも抜きん出ています。連続する8分音符は、時の流れを象徴していると言われています。和声とバスと歌の旋律、この3つの要素が実に見事に詩の情感を描いてゆきます。
<ネル>
6月のバラ、太陽のきらめきを歌った愛の讃歌。ネルという名前は永遠という言葉の響きと重なります(éternel :エテルネル)。ピアノはきらめきのごとく、ときめきのごとく、繊細に、大胆に、歌を彩ってゆきます。
<ゆりかご>
港に停泊する船。男達はやがて船に乗って冒険へと旅立ち、女達は港で見送る。波の揺れは女達が揺するゆりかごの魂。波の揺らぎを模したピアノに乗って、別れの嘆きと男女の宿命が切々と歌われます。
<夜曲>
地上に咲く花と夜空の星を青い宝石箱に例えた大変美しいイメージです。そして最後に私の夜の魅惑と光は愛ときみの美しさだけだと歌うロマンティックな愛の詩です。神秘的な浮遊するような響きは、詩の雰囲気を見事に表現しています。静かに最高音まで上昇してゆくピアノのフレーズの美しさは息をのむほどです。フォーレの魅力が凝縮された一曲です。
<月の光>
ヴェルレーヌの詩集「艶やかなる宴」冒頭の詩。「あなたの魂」は、18世紀フランスの画家ヴァトーだといわれています。彼が描いた典型に「艶やかなる宴」の絵と呼ばれるものがあります。田園や庭園に集った男女が愛を語り合う様を描いたものです。ヴァトーはまた、当時流行したイタリア古典喜劇の役者を沢山描いています。イタリア古典喜劇は16世紀北イタリア、ベルガモで生まれました。アルレッキーノ、コロンビーナなどの典型的キャラクターが、恋愛や世相などを即興的に面白可笑しく演じるお芝居です。ヨーロッパ全域に伝わり、各地の古典演劇、オペラやパントマイムにも影響を与えました。ベルガモ風=ベルガマスクとは、このイタリア古典喜劇の衣装や様式、雰囲気を指しています。仮面を付け、きらびやかな衣装を纏い、その心に悲しみを隠しながら明るく滑稽に振る舞う役者たち。そこに「艶やかなる宴」のイメージが重なり、すべては月の光のなかで一つに混ざり合ってゆくのです。「艶やかなる宴」を発表したころのヴェルレーヌは、飲酒と放蕩とで荒れた生活を続けていました。それは初恋の人エリーザの死が原因だといわれています。恋愛に対してシニカルな冷めた感覚を抱いていたのでしょう。フォーレはこの曲に、メヌエットと副題を与えています。これは優雅に踊られる宮廷舞曲です。ピアノが主旋律を奏で、歌はむしろそれに寄り添うように歌われます。この主旋律の冒頭は、4分の3拍子でありながら、2小節を一つにした2分の3拍子にも聞こえます。また、旋律を支える低音は休符からはじまる分散和音です。これらの要素により、音楽はどこか儚げで典雅な気分を見事に表現しています。それはまさに月の光の下で繰り広げられるいにしえの「艶やかなる宴」を幻想的にイメージさせてくれます。
<アルページュ>
夜の公演の奥底に響く笛の音。夜は偽わりであり、その髪に飾られる月は東洋の宝石。青い瞳の三人の美女。星を映す泉。銀色の小径。神秘的なイメージを喚起させる言葉が音楽を呼び覚まし、笛の音を模したピアノの旋律が繰り返し印象的に響きます。
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